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8月6日の朝

私の住む広島では、8月6日は特別な日です。
原爆投下から、今年で79年目。被爆地である広島は、このことを意識せずにはいられない日だからです。
戦争参加経験もある祖父は、戦争について話すことはほとんどなかったけれど、毎年、朝早い新幹線に乗って、平和記念式典に参列していました。

私は、朝ごはんを食べならがらテレビで平和記念式典の中継を見て、8時15分に黙祷するのが恒例です。今年は、小学3年生の息子もじっと画面を見つめ、1分間下を向いて黙祷していました。だんだん理解できるようになってきたのかな。
原爆のことどう思う?と聞いてみたら、「原爆で死んじゃった人、かわいそう」と答えました。妙に実感がこもっていて、多分、昨日死んじゃったカブトムシのことが頭にあるんだろうな、と想像しました。

8月6日に、いつも思い出すのは、祖母から聞いた話です。
祖母は、原爆に直接は遭っていませんが、妹が広島市内に住んでいました。投下から1週間後、行方のわからない妹を案じて、市内に行ったのだそう。電車でも1時間以上かかる道のりをどうやって向かったのか、市内の惨状も聞いたはずだけれど、私が小学生の頃に聞いたからか、もう記憶もおぼろげです。

結局、妹は見つからず、消息がわからないまま、亡くなったということにしますという知らせがきたそうです。祖母は、悲しくて悲しくて、家の裏の渡り廊下があるところで、一人でわんわん泣いたと言っていました。渡り廊下は、誰にも見られないところで、泣いても声は聞こえない場所だったから、と。

当時は、戦争や原爆で家族を亡くしたからと、おおっぴらに悲しむことは許されない雰囲気だったそう。そう聞いて、子どもながらに心がきゅうっとなり、この部分だけをずっと覚えているのです。

広島の小学校は、8月6日前後に登校日が設定されていて、戦争や原爆の恐ろしさについて学ぶ平和教育があります。子どもの頃は、被害の悲惨さをこれでもかと植え付けられて、恐怖感だけが強く心に残っていたけれど、大人になって、怖さはそれだけじゃないと思うようになりました。本当は嫌だな、おかしいなと思っていても、口に出せない雰囲気になってしまうことが怖いと感じるようになったからです。

祖母のように、悲しみを表に出せないつらさ、虚しさ、そのことから湧いてくる怒りを思うと、やるせない気持ちになります。
広島に住んでいなかったら、原爆投下や戦争のことは、歴史の1ページ、昔のこと、と捉えていたかもしれません。でも、広島だと身近にこんな思いをした人がたくさんいて、今の時代と地続きの話なんだと実感します。

平和であってほしい、自由に意見が言える社会であってほしい、子どもが戦争に行くような将来にはなってほしくない。そう願いつつも、選挙に行くくらいしかできないのだけれども。
今年は、息子と平和資料館に行ってみようかな。

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