カラヤン&ベルリン・フィル:ライヴ in 大阪 1984
1984年10月、3年ぶりに来日したカラヤン&ベルリン・フィル。その大阪 ザ・シンフォニーホールでのコンサートを収録したDVDです。
カラヤンの映像作品は多数発売されていますが、来日演奏会をカラーで収録した作品はこれ一つしかなく、非常に貴重です。
1984年のカラヤン&ベルリン・フィルの来日
カラヤン&ベルリン・フィルは1984年10月に来日することになっていました。
ところが、この年の夏。カラヤンとベルリン・フィルはあるクラリネット奏者の採用に端を発した抗争が勃発してしまいました。そのクラリネット奏者の名前をとり、ザビーネ・マイヤー事件とも呼ばれています。
ザビーネ・マイヤー事件
ザビーネ・マイヤー(1959.3.30~ ザビーネ・マイヤー - Wikipedia)はドイツの女流クラリネット奏者。
1982年にベルリン・フィルの入団オーディションに参加したザビーネ・マイヤーを高く評価したカラヤンは、彼女の入団を熱望。一方のベルリン・フィル側は「彼女は有能だが、その音色はソロ奏者向き」として不合格を宣告。関係者の話し合いで、妥協案として1年間の試用期間後に再投票することでいったん決着しました。
ところが1984年の春にマイヤーは再投票を待たずして退団。怒ったカラヤンはベルリン・フィルへの出演契約、レコーディング契約、録画契約のすべてを破棄。ベルリン・フィル側もカラヤンと結んでいたコンサートへの出演契約、レコーディング契約、録画契約を破棄。今後の両者の関係が危ぶまれる抗争となりました。
日本でも全国紙や音楽雑誌、主要週刊誌はもちろん、当時隆盛だった「FOCUS」「FRIDAY」などの写真週刊誌も取りあげるスキャンダルになりました。
夏を越した9月。カラヤンがベルリン・フィルに歩み寄る形でようやく和解。10月に予定されていたカラヤン&ベルリン・フィルの来日公演はぶじに行われることとなりました。
このDVDは来日直後の10月18日のコンサート、和解後わずか3回目のコンサートを収録したものです。カラヤンの来日公演を収録した映像商品はわずかしかなく、大阪でのコンサートを収録した商品、カラーで収録された商品はこれ一つです。
カラヤン&ベルリン・フィル:ライヴ in 大阪 1984
<演奏曲目>
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:ディヴェルティメント第15番 変ロ長調
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
オットリーノ・レスピーギ:交響詩「ローマの松」
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1984年10月18日 大阪、ザ・シンフォニーホール
制作:テレモンディアル(カラヤンの設立した映像制作プロダクション)、大阪朝日放送
カラヤンは、前年1983年に椎間板ヘルニアの大手術を受け、歩行が不自由でした。また、前記のザビーネ・マイヤー事件の和解直後です。当時は、来日は果たしたものの、演奏内容を危ぶむ声も公然と語られていました。
ですが・・・・カラヤンもベルリン・フィルもそんな下衆の勘ぐりを吹き飛ばす気迫に満ちた渾身の演奏でした。
シルクのように流麗で蠱惑的なモーツァルト。リヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンの音の魔術が全開の「ドン・ファン」。圧倒的な音の饗宴の「ローマの松」。
この一連の来日公演が終わったあと、コンサートマスターの安永徹は「カラヤンがいない間、いろいろな指揮者といろいろな曲を演奏したが、カラヤンが復帰して”やはりこれ(カラヤンの指揮)が本当だったんだ”と多くの団員が感じたと思う」と述べています。
また、この公演から3日後の10月21日。東京文化会館でこの人同じプログラムを聴いた音楽評論家の黒田恭一(故人)は「カラヤンとベルリン・フィルの間に不仲の火種がくすぶっているかどうかはぼくは知らない。だが、同じステージに立ったとき、ベルリン・フィルはカラヤンのために出来るだけのことをしようという意欲に燃えていた。(当時76歳の)カラヤンが未来の計画を熱っぽく語れるのは、ベルリン・フィルがパートナーとしてあるからこそで、そんなベルリン・フィルに支えられているカラヤンは幸せだと思う」と述べています。(どちらもレコード芸術 1984年12月号)
私の言葉でないのが残念なのですが、私もまったく同感です。
このDVDの映像はYouTubeに上がっていましたが、今は削除されています。ただ、「ローマの松」だけは1988年の新春にテレビ朝日で放送された映像がYouTubeに残っています。
「今すぐ見たい!」という方はこちらを。→カラヤン&ベルリン・フィルによる「ローマの松」
<次回予告>
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