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“怪物”心の大ケガ治す

傷だらけの人生って歌があったなと思って、鶴田浩二さんの歌を聞き

作詞家の藤田まさとさんを調べたら
柏原芳恵さんの
しあわせ音頭
という楽曲
作曲は細野晴臣さん
に行き

イエローマジック歌謡曲から
高橋幸宏さん
山野ミナさんに
たどり着いて
満足💙🩵


ほんのつい最近出会った
『人生脚本』という
用語から

ある講座に参加して

50人以上の老若男女
皆さんと一緒に学んで


私なりに確信してきたことが‥

(念のため これは講座の内容にはありません  私がこう感じただけです)

私たち日本人の多くが
心に大ケガを負っている

実際に
親や家族や学校や会社や組織や社会から
直接の攻撃や否定を
たとえ受けなくても

自分が生きる世間には
学力から
外見から
性格から
能力から
偏差値みたいな
モノサシが存在していて

子どもの時から
そういう評価に晒され
自分でも評価を無意識に行い

それにたとえ振り回されないとしても

それでも
大人の世界の縮図が
繰り広げられてない学校って

そんなに多くは存在しない

その中で
私たちは
無意識にグサグサと

自分にダメ出しの
攻撃を
してしまってるのでは
ないのかなぁ



日本だけでもないと思うけど


誰が悪いわけでもなくて
社会構造とか歴史から
こうなってるんだと思う


何をすればいいか少しわかってきた


🩵まず自覚すること


生まれたばかりの
赤ちゃんは

何の制限もジャッジもない
世界に生きてる


その波動の高い状態から

ある時期
物心つくずっと前から

私たちは

愛を得るために
模索を始める


無条件の愛を与えるほどには
満たされていなかったり
或いは
条件付きの愛しか
知らなかったり

愛どころか
様々な不安や恐怖で一杯の
環境にいる
大人から

制限
条件
命令
禁止
が無意識のうちに
提示され続け

赤ちゃんは

どんどん
自分の周りに
檻を構築して行くーーー😳


気づいたら

檻の中
足は鎖に繋がれ

昨日見た

映画
『怪物』で
安藤サクラさんが言うような

目が死んでますよ

な状態が

子どもの時からでも
始まる

でも誰も
そんなこと
自覚していない

だから問題なんだと思う

たとえば
過保護や過干渉が
よいことだなんて
誰も思っていない


でも無意識の部分の
こうしないとダメっていう

恐怖から行っていることだから
決してやめられない


命令も禁止も
ほぼ無意識で
行ってる

大人は子どもに対して
これを行う義務があると
思ってやっている


相手のためを思うから
やってると思ってる


これをしないと
子どもは
野蛮人になっちゃうと
信じてる


映画『怪物』(また思い出したけど映画とは直接関係ないことを書いてます↓)

野蛮人はどっちなのかという話

そもそも野蛮人って何ですか‥


自分が相手の領域に
勝手に侵入しているのに

・未開の地に暮らしている

・言葉が通じない
相手だと見做し

侵入者から心身を
守るために
警戒し
恐怖から攻撃に転ずる

その当たり前の行動を
野蛮と見做して

それを何らかの力で
征服しよう
コントロールしようとする方が
よほど野蛮なのでは?

これと同じこと
本質的に同じことを


私たちは
あらゆる対人関係で
行いがちなのでは🐬


子どものほんとうの気持ち
わからない
何を考えているか
わからない

それを恐れ
危険と見做し

矯正する必要がある
教育する必要がある
管理する必要がある


子どもだけじゃない

ちょっとでも
わからなかったら

怖がって

否定して

一人では不安だから
集団になったり
いろんな形の武器を
振りかざしたりして

その対象を
攻撃しようとする
それが最大の防御だから

管理をどんどん強めた究極が
世界一の精神科病棟のベッド数
であったりする


ほんとに
世の中が暴力装置だらけに
なっちゃう大元は

恐怖🫨



無知とか無理解というより
知ろうとしない
理解しようとしない

でも
それが責められるべきなのではなく

関わることや
知ることで
自らにも豊かさ
や喜びがもたらされる
体験をする
機会が足りない

対人関係において
子どもの時から
対話する習慣や
対話しての学習の形態も
足りないから
その力が
育まれないのだと思う


日本には
人と深く関わることが不利益になると
思い込まされる装置もある


深く関わったところで
相手の中に
宝石💎があるなんて思えない

だって自分の中にだって
宝石💎なんてない

と信じ込んでいる

それくらい自分のことが嫌い😢

自分には
いいところなんてない

人と関わるのが嫌だったり恐怖
になる理由の一つは

関わるうちに
まだ向き合っていない自分の中身に
向き合わされるから

自分が認めきれていない
ダメ、イヤと思ってる自分自身が
相手という鏡に
写し出されてしまうから


ぶつかり合って
傷ついたりしても
関わること
知ることが
もたらす喜び
幸せになる体験が、


自分に向き合わない習慣?習性?
環境のせいで

圧倒的に不足してしまう

他の理由…

先回りして
押し付けられてるからでもある


こんなことがいいこと
こんなことが悪いこと

価値観を押し付けられてるから
その圧力が強いから

思考が停止すると言うより
思考が
始まらない

ほんと窮屈ーーー🫡


こんな問題だらけだけど😢

これを突破したら

いつでも
日本はよい国になる

いつでも
最高の国になる🗾

と思った

だってこの映画が作られたのは
日本だから🇯🇵

怪物は
どこの国の
誰の心にも
存在する

でも

それに向き合って
支配や征服ではなく
それを光の存在に変える術を
持ち合わせているのは

自然をコントロールしようとする
西洋の文明原理ではない気がする

自然に溶け込もうとする
自然と共存しようとする

日本の文明原理
の側だと思う

妖怪とも共存するし

悪魔と天使みたいに対極じゃない

怪物は
飼い慣らされるのではなく

シュレック的な
そのままでいいんだよ的な

姿は怪物のままだけど
中身は愛すべき仲間じゃん

分かり合えるんだから
敵な訳ないじゃん的な

だんだん話が
違ってるかも知れませんが
😀


主役の子役のお二人💎

ほんとにステキだったー🩵

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