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妊娠出産中絶を描いた作品が気になる2024/7/28

7/25(木)

ドラマ『あの子の子ども』第5話、めちゃくちゃよかった~。
高校生の妊娠を描いている。
福(さち)(桜田ひより)は、避妊具の破損によって予期せぬ妊娠をしてしまう。
第5話は、福が1人で初めて産婦人科のクリニックに行く場面が描かれた。
バスに乗って誰も知っている人がいない場所の薬局で検査薬を買って、ファミレスのトイレで調べたら、「陽性」という結果が出ていた。
問診票の「中絶を希望する」に丸を付けて名前が呼ばれるのを待つ。
待合室の光景に責められているような気持ちになり、逃げ出したくなっていた。

クリニックの院長野田先生(板谷由夏)がめちゃくちゃよくって!
中絶可能な期日の説明を聞き、情報の多さや大きさと、エコーで心臓の動きを見たことによって受けた衝撃と混乱で、福が「いつから命ですか? 学校の保健の授業で中絶は一人の命を奪うことだと習った」と言うと、野田先生は、「学校の授業での中絶についてのその説明の仕方は意味があるのかもしれないけど、あなたには当てはまらない。あなたにとっての中絶は、妊娠する前の元の身体に戻すこと」という。
そして、「あなたがどんな決断をしようとも、他の人がそれを責めたりすることは絶対にできない」と繰り返し言う。
福が「自分はこうなる前にもっとできたことがあったのに、やりきれなかった。アフターピルとか」
と追い詰められた様子で言うと、先生は、もう1枚問診票を取り出した。それは、彼氏の宝(たから)(細田佳央太)とともに避妊具の破損に気付いですぐにアフターピルについて調べ、翌日、福が一人でこのクリニックに来た際に途中まで書いたものだった。途中で、クリニックから親や学校に無断で連絡されるんじゃないかと不安になり、診察もアフターピルの処方も受けずに飛び出してしまった。

野田先生は、もちろん無断で学校や保護者に連絡することは絶対にないと言い、謝った。そのことがもっとわかりやすくホームページや受付に明示してあれば不安にさせることはなかったですね、すぐに対処します、と言って。
そして、避妊具を使ったことも、破損に気付きそのリスクについて調べたことも、アフターピルを処方してもらおうと考え行動したことも、自分で検査薬を買って調べたことも、こうしてクリニックに来ていることも、すべてするべきことをしている。完璧です。と言う。

その言葉を聞いた瞬間、福は涙が溢れて止まらなくなり、見ているだけの私も号泣した。滂沱の涙よ。
いまだかつて、こんなことを言ってくれた医者はいただろうか? こんな優しかったことってあった?
未成年の妊娠については、何かしらの苦言やタブー視とセットで描かれて、こんなにも女の子に優しかったことはない気がした。福の不安に徹底的に寄り添っていた。これって当たり前だよな、でもその当たり前がなぜか全然なかった。女の子だけが、女の人だけが「責任」を取るのが当たり前でずっとやってきた。
今私は見たことがないものを見ている! ということに興奮して、最後まで見て最初からもう一回見た。初めて見るのと同じ新鮮さで泣いた。感動した。

宝もすごい立派な人で、前話では妊娠を知らずに自分の「不安」を福に言ってしまい怒らせるのだが、今回は、反省し、福の「不安」をつぶすため、あらゆることを調べてきていた。
中絶の場合の費用、期限、費用は自分が全額出すこと、出産する場合の費用、国の補助、規定により、福が「妊娠」を理由に高校をやめさせられることはないこと、費用は高校をやめて働いてでも自分が稼ぐこと。
そして、それでも負担はやっぱり「半分こ」にはならないこと(どうしたって、福の負担が大きい)。そんなことに愕然としてしまい、福が取り出したエコー写真を見て二人でわんわん泣いていた。

ここまで人が誠実であろうとする姿を描くことができるのかと思った。これもまた新しくて、見たことのなかった世界の話。もちろんこのシーンも泣きながら見て、今泣きながら書いている。

なんでこんなに泣いてしまうんだろう。
妊娠も中絶もしたことないのに、その不安とか、乗しかかる「責任」の重さとか、結局一人だということとかに深く思い入れてしまう。

本当は、前話まではどこか福や宝を責めるような思いで見ていた。完璧な避妊はないのだからとか、高校生の考えの浅さとかに対して、言葉にはしなくともどこか「自業自得」感をまとわせて見た。
そういう大人を試すかのように、この第5話で野田先生が福に「(あなたがしたことは)完璧です」と言うまで、私たちの感覚は泳がされる。

自分はずっと福を応援できていただろうか?
どこかのタイミングで、「ほら言わんこっちゃない」と思わなかったか?
先入観でジャッジしようとしなかったか?

反省と、興奮と、そのくせ、野田先生に自分までが優しく認められたような気がしてごちゃごちゃな気持ちになった。



という日記を少し前に書いたのだが、それからまた考えていた。
このドラマの何がこんなに心引かれるのか?

考え続けるうちに少しずつわかってきたのは、「女の子だけが」「女の人だけが」と、妊娠、出産にまつわる「責任」が女の人にのみ課される現実への疑問を私は書いていて、それはそうなのだが、このドラマのよいところは、女の子に限らず、若い人たちを苛めないところだと私は思ってるな~ということ。そのことにものすごく感動しているのだと思う。

性教育の不備や遅れ、いまだにタブー視されていて十分に話されていないことの余波を、若い人に負わせようとしない。大人側の説明不足や体制の不備、語ることを避け続けてきてしまった結果だということを直視しようとしている気がする。
そのことを、淡々としていながらも福の様子を細かく見ていたり、福を不当に傷付けないように注意を払いながら自分の言葉で語ろうとする野田先生の姿に感じる。

大人たちは、若い人や子どもを怒ることで、自分の「責任」や「不足」を転嫁したり覆い隠したりしてはいけないよってことじゃないかなあ?
そういうことが描かれようとしている気がするから、泣けてしまうのかもしれない。
若い人や子どもは、大人の助けを十分に受けるはずの存在であって、大人はそれをしなければならないという基本的なことを言っているような気がする。
現実ではそうじゃないことが多すぎて、忘れてんなよ、って言われている気持ちになった。

大人は子どもを助けなければいけないって絶対大事じゃん。これじゃん。

🎥

妊娠や中絶にまつわるドラマや映画がずっと気になり続けているのだが、「中絶すること」に罪悪感を持ちすぎないことについて考えたいのだと思う。
もっと言うと、罪悪感を持たないで、と思っている。

↓2022年12月のまだ完成していない日記。

フランスの映画『あのこと』を観たらしい。

映画『あのこと』をみた。

映画にいこう! となって、いくつか私が挙げた候補の中から友達が選んだ。
その瞬間、挙げなきゃよかったー!って思った。
痛いの嫌だし、その上、痛い箇所が「膣」とか「子宮」とか、嫌すぎた。
フランスでまだ中絶が禁止されてた時代の話で、ていうか、え、1960年代ってまだちょっと前のことじゃん何それ。

大学生のアンヌは予期せぬ妊娠をし、何とかしようと医者を訪ね歩くが、どの医者にも「中絶は法律で禁止されていて捕まるから」と断られる。

食い下がるアンヌに、医者は薬を偽って渡し、(その薬は本当は流産を防止するためのものにすぎない)、アンヌは自分で腿に注射する。
中絶が禁止されている場合、産む他に選択肢がなく、そうすると大学を辞めなければいけない。
アンヌは優秀な学生(文学専攻)で、友達はいるがその優秀さを他の学生にやっかまれてもいる。
アンヌは誰にも言えず、「あらゆる方法」で自ら堕胎を試みる。
編み針や長い器具を、寮の自分の部屋で自分の中に入れるのだ。そういうシーンがあるって聞いてたし、映画館で失神する男性もいたということもネットにはまことしやかに書かれていた。

そういうのもーいーんだって! 残虐シーンが見たいわけじゃないんだよ。ていうかもはやそれはホラーじゃん🧟‍♀️やめてくれよ。

……と思ったのは、もうそういう作品は自分の人生で一生分ぐらいは見たと思ったからだった。
いや、二生、三生分ぐらいは見たぞ!

残酷な過去の事実や歴史を見ておかなければならないという責任感と罪悪感と、ある種の義務感から、そういうものをわりと積極的に見てきた人生だった。
その癖で、ついこの映画も、「何の映画みる? 」の候補に入れてしまった。いかんいかん、いやいかんくないけど。

映画館では、残虐シーンにはずっと目をつむっていた。
もちろん局部は映さないけど、アンヌが足を広げて座り、手鏡と道具を構えるその格好でもう無理だから。もちろんうまくいくはずもなく……。悲鳴と苦痛に歪む顔。

どうしても子どもを産むわけにはいかないアンヌは、闇医者にたどり着く。費用も自分で工面して親や知り合いを頼らない。親には言わない。親は優秀な娘を誇りに思っているから。
闇医者での堕胎は麻酔がない。こんなのは拷問と一緒でめちゃくちゃだ。私なら死にたい。しかも一度ではうまくいかずアンヌは二回受ける。書いてるだけでぞわぞわして足が動く。胎児が下に降りてくるのを待つように言われて帰され、激痛の後、トイレで何かを産み落とす。気付いた寮の同級生にハサミを持ってきてもらい、懇願して切ってもらい失神する。ようやく病院に運ばれ、医者が「中絶」ではなく、「流産」と書いてくれたからアンヌが罪に問われることはなかった。
大学入学時に言っていた教師ではなく、作家を目指すと言って、大学生活を続けるアンヌの姿が映って映画は終わり。
事実を元にした映画とのこと。
めちゃくちゃだ!
アンヌは悪くない。責める気にはならない。
アンヌが、「いつか子どもを持ちたいとは思ってるが、いまじゃない」と言いきるのは当然の態度だと思った。
罪悪感は、一切描かれていなかった。
罪悪感なんてアンヌには割に合わなすぎる。


📺️妊娠にまつわる作品をもうひとつ

ドラマ『燕は戻ってこない』のラストを痛快に感じてしまったのはよくない感性なのだろうか。

ビジネスとして引き受けた代理母業で双子を出産した主人公は、ドラマの最後、双子のうちの一人、女の子の方を抱えて逃げていく。ベビーベッドにいる男の子の方には「あなたは草桶家で大切に育ててもらいなさい」と言って置いていく。草桶家は代理母の依頼者で世界的バレエダンサーの家。
ドラマの中盤からずっと、物語は最後、どういう終わり方をするのだろうと思っていた。
私のおめでたい感性では、産みの親と育ての親が3人で協力して育てる、とかそんなことしか思い付かなかった。

「生まれてくる子どもが双子なら、たとえどっちかがバレエダンサーとしてモノにならなくても、もう一人いるから保険にもなるしいいじゃない」と、草桶の母(バレエダンサー)が残酷にも言っていたが、『双子なら、一人ずつ分けて引き取ってもいいじゃない』って展開に主人公は強引に持っていったのだ! 観ていて最初はぎょっとしたが、すぐに、よしいけ! やれ! と応援した。痛快だった。

現実を思うと、赤ちゃんは「盗まれた」ことになるし、通報されるかもしれないし、今は主人公は代理母業の謝礼のお金があるからしばらくはよいが、元々は非正規の契約社員で「貧困」も描かれたから、いずれ、どうやって一人で育てるのか? という問題にすぐにぶち当たる。そういう格差や社会的不平等も描いたドラマだったから、簡単に解決を描いたりしないのだと思う。

それでも、先は闇でも、子ども一人を盗んで終わる結末に、私は一瞬の強烈な快感を味わってしまった。

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