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「努力しないと私は愛されない」病から抜け出せなくて
傍から見たら、順風満帆そうに見えるでしょう。心は、ずっと死んでるのに。
noteを開いたら、4ヶ月前に下書きにした、そのつぶやきが目に入った。いつもは、ああ、そうなんだよな、と共感してた気持ち。でも今は、なんて悲しい感情と状況だったんだろうと自分のことなのに心が傷んだ。
13回目のカウンセリング。私のままで、いつもより長く話した。
情や愛という言葉で包んで、必死に見ないふりをしてきた元旦那への本当の感情に気づいたことや一緒に住んでる彼に「家事が辛い」と泣き、休みたいと初めて自分から言えたことは、はたから見れば、どれも小さなこと。けれど、私からしたら怖すぎる大きな挑戦だった。
休みたい時は休めばいいと、世間一般は簡単に言う。でも、私にとっての「休むこと」は、とても怖いもの。努力しないと私は愛されない。いつの間にか心の奥に根を張ったその感情が体も心も侵食していって、休むことは悪いこと、頑張らないと価値がないと無意識に思い込んでいた。
いつの瞬間も顔を出す義務感が苦しい。休むことすらも、「休もう」ではなく「休まなきゃ」だから、休めない。こんな心の仕組みは複雑すぎるから、同じ経験をしてきた同士にしかわからないし、似た経験をしてきた人にもわからないところがある。自分ひとりで抱えていかなきゃならない、重い義務感。
私は努力しないと愛されない。そして、元旦那から愛されていなかったことを認めてしまったら、自分は親からも自分が選んだパートナーからも愛されていなかった可哀想な子になる。それらは耐え難いほど苦しくて悲しい事実。認めてしまったら、自分という存在が壊れてしまいそうに思える事実だった。
でも同時に、努力しないと私は愛されないのだろうかという思いも顔を覗かせた。そして、今の自分が”頑張っている状態”だということに気づいたら、今まで通りに頑張れなくなった。
化粧水を塗る時でさえも、なぜ、こんなにも力を入れて肌を触るのかと思い、髪をとく時もなぜ、こんなにも必死でといているのかと思った。なんというか、ひとつひとつの行動を全部、全力で頑張ってる。これは疲れるだろう…と自分のことながら思った。
頑張ることが、とても疲れる。体も重い。夕食が作れない。自分が努力してるから相手の粗が目についてモヤモヤする。壁を殴るほど、イライラする。自分も完璧ではないくせに。やり場のない気持ちがどんどん心に溜まっていった。
でも、こんな風に頑張ってしまうのは、人の役に立てば愛された遠い日の私が今も頑張り続けているからだって気づいたり、彼に「休みたい宣言」をしたりしてからは、少しだけ心が楽になった。
不思議なことに、その日以降、見慣れた外の景色がとてもきれいに見える。家の周りに生えているただの草が青々して見える。カウンセリング前、ホームで見た電車にも味があった。すれ違う人みんな、頑張って生きるんだなって思った。
時間の流れも、なんだか穏やか。ゆったりとした空気が流れてる。しーんとしている空気感が心地いい。目に映る景色が波立ってなくて穏やか。周りは何ひとつ変わってなんてないのに。
そういう空気感の中で、体の重みを感じる。ああ、こんなに自分は疲れてて、眠たかったんだと気づく。だけど、まだ眠れはしない。布団の中ではドキドキする。それがもどかしいけれど、今週は眠れなくても、車道に出て死にたいとは思わなかった。目をつぶって体を休めるだけでもいいって、昔、優しい人が言ってくれた言葉を心で噛みしめられた。
少しだけ、心が無防備になった気がする。だから、人がいるところへ行こうとしたり、人目にさらされたりすると怖い。”頑張りモード”を入れたり、切ったり、調節したりするのが難しくてできない。ただ、この週末は”自分”として行動できてる。
いつもはメイク用品につぎ込むだけのお金を、好きなアーティストのDVDに使った。休みの日に、BUMPのDVDをゆっくり見る。そんな予定を自然に立てられたのが嬉しかった。誰かのために、じゃなくて、自分で自分の心を満たす予定が立てられて嬉しい。
でも、睡眠は怖い。悪夢で目が覚める。今日の悪夢は、とてもリアルだった。性別が男性の自分が、すごく信頼してて大好きな女の人に蔑まれて、いらないと言われる夢。
夢の中の僕はショックでまっすぐ歩けず、脳がおかしくなってるんじゃないかってくらい、体が震えてた。書かれた台本の台詞を言葉にしようとするけれど、赤ちゃんみたいな泣き声しか出ない。
そこに知らないおばあさんが来て、「可哀想に。こんなにも壊されて。あなたは何も悪くないよ。もう大丈夫。私は傷つけない」って言ってくれた。でも、僕は信じられなくて、抱かれながらもその人の表情を観察しながら、「本当は…?本当は…?」って何度も確認する。
その人の顔の横には、こういう口の形になっていたら怒り、軽蔑、笑顔だっていう注意書きみたいなのが出ていて、僕はその基準を見ながら、その人の口の状態から気持ちを探ろうとしてた。
目が覚めた時、息が荒かった。汗をびっしょり掻いていた。体温が高かった。ああ、これは私の「これまで」だと思った。とても怖かった。最近、カウンセリング後はこういう、心にグサっとくる夢をよく見る。
オンライン会議や修理に行った車屋で、「私」を少し出してみた。みんな、笑顔を向けてくれた。かっちりしてない子どもっぽい私でも、笑顔を見せてくれた。それが嬉しかった。
世の中の人はみんな、なぜか上手く力を抜くことを知ってる。私だけ、肩の荷の下ろし方が分からないし、不器用。どこでみんな、頑張らない生き方を学んだんだろう。