私じゃなければ楽だったけど、「私」だったからこんなにも愛せるんだろう。
カウンセリング29回目。今回も、インナーチャイルドワーク中に見えたのは、インナーチャイルドみんなが小島に揃った光景。
遠いけれど、右前方に見えたのは手を振る母親の姿。笑顔だけど、あれに騙されて、そっちに行ったらまた心が苦しくなるから嫌だなとインナーチャイルドの愛が思ってた。
この世界は変えられると、カウンセラーから背中を押されてとった行動は、インナーチャイルド同士での相談。どうやって、母親を見えないようにしようかと大人の私、憂、愛、空で考える。
相談中、笑いそうになってしまった。大人の私や憂が「お母さんの姿だけぼかしがかかるモザイク眼鏡をあげよう」って言うから。なんだよ、その眼鏡!って突っ込みたくなる笑いと嬉しさがあった。
空はいつも静かに全体を見守っててくれるけれど、「どうしよう」って相談すると、「遠くに飛ばしてあげよう」って言ってくれた。
そういう話し合いがなされたら、母親の姿は遠くに飛んで行ってモザイクがかかって、見えにくくなった。気にならないくらいの距離になった。
カウンセリング中は認めるのが苦しい気持ちに出会うことが何度もある。今回も、そう。母親を愛してきたこと、いつかちゃんと愛してくれるんじゃないかっていう想いが消えないこと、今回だけはいつもと違うんじゃないかと思っては裏切られてきたことを痛感させられて苦しかった。
なぜ、子どもは親を選べないんだろうね。でも、もし自分で選べたのなら、私はどんな親を選んだんだろうね。
なんで、いつも相手の気持ちを考えずに思ったことをその都度言うのだろうと母親と話していて、いつも思っていた。でも、カウンセリング後にカウンセラーと話す中で、ああ、私とは脳の仕組みが違うから分かり合えないのは仕方ないのかもなあと思った。
父もそう。うちの家族はみんな、どちらかというと相手の気持ちが分からず、自分の気持ちを衝動的に口にするタイプ。私だけが察するタイプ。思考がグルグル巡るのは、父親に似てる。自分が受けた傷には敏感なところも、父親そっくり。
でも、あの人は他人の痛みが分からないから、それでもなんとか生きていける。私は誰かの感情が心に流れ込んでくるようだと感じるほど、自分より他人の気持ちに敏感なタイプだったから、生きていくのが苦しかった。
父親みたいに、自分ファーストを貫ければ楽だった。
母親みたいに衝動的に自分の感情を見せて、他人の痛みが分からなければ楽だった。
姉みたいに人の感情を察せず、自分の意見を貫ける人なら楽だった。
そういう自分であれば、きっと今よりずいぶん楽だった。でも、そういう自分じゃなかったから、私なんだろうなとも思う。
心の状態は最近、比較的落ち着いてるので次回は自分の得手不得手が知れる検査をする。そういう検査系って好きだから、ちょっと楽しみ。楽しめる余裕が出てきたのは成長であり、私の強さ。
ただ、漠然と思うのは心に溜まった怒りをもっとちゃんと表に出して、消化しないとってこと。なぜか、最近そう強く思う。もう「いい子」でいなくてもいいと思うのに、最後のストッパーが外せない感。
タガを外すのが怖いのか。それとも、自分がどうにかなってしまいそうで怖いのか。