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筆の意味を見いだせない。

書くことで、誰かの体験や想いを届けたいと思っている。だけど、書くことが結果的に取材対象者さんを傷つけることになることもあって、やりきれない。


いろんな響き方がある。どんなに微笑ましい記事を書いても、どれだけ言葉でフォローをしても、賛同だけの記事なんて絶対にない。それは理解できる。ただ、伝えなくてもいい、記さなくてもいいチクチクした言葉をあえて本人に伝わる形で吐き出す意味はなんなのだろう。


対面の人間関係で相手を100%知るのは無理なように、文章を通して相手を100%することは無理だ。それなのに全てを知ったような感覚になって批判をするのは悲しい。


〇〇すればいいのに。なんで、〇〇しないの?と指摘する人は、もし何十年かした後、自分が指摘した相手から「あなたに言われた通りに生きてきたけど、納得できなかった」と言われたら失った時間にどう責任をとるのだろう。


そんな責任、誰にも取れっこない。だから、人は他人がどんな生き方をしていても、アドバイス以上になるチクチク指摘はするべきではないと思っている。


媒体はアクセスが伸びれば、それで満足なところがある。たとえ、寄せられるべきではない中傷があったとしても。


だったら、勇気を出して心の奥の気持ちや一生懸命心に刻んだ体験を話してくれた取材対象者さんの痛み、歯がゆさはどこにぶつけたらいいんだろう。


ずっと答えがわからない。書くことで誰かを助ける手助けがしたいと思ってきたけれど、書くことで必死に生きてきた人や笑顔で過ごしている人の日常に新品の傷をつけることになるのなら、自分の筆にはなんの意味があるんだろう。

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