私の腕の鮮やかな青。
ブルーベリーみたいな塊が二つ。
その周りを火花みたいに散らばる、鮮やかな青紫。
私には左腕から左胸にかけて、局所的にあざがある。生まれつきのあざ。
医療用語では、イチゴ状血管腫と呼ばれている。
私の場合、生まれたときからすでにあって、小さい時から病院でレーザー治療を受けてきた。日光に当ててはいけないので、何かで覆う必要があるから、夏でも左腕の半分くらいは包帯でぐるぐる巻きにしていた。
そんなあざの存在によって、小さいころから、自分の体は、人と違うと思っていた。
人にないものがあるというのは、やっかいなものだった。
大学生2・3年生くらいまで、人に見られると、醜いと思われる気がしていて、夏でも袖の長い服を着ていた。実際に、袖がめくれて見えたときに、友人や学校の先生に「どうしたの、大丈夫」と心配されることがあった。悪い時には、「おかしい」とか、「へんだ」とか言われた。幼い時の同い年くらいの子に言われる悪気のない言葉は、結構ぐさぐさ私の自尊心に刺さっていた。
人に気づかれるたびに、このあざを説明するのが嫌で、徹底して隠してきた。打ち解けた相手にだけ告白していた。私の場合は、隠せる位置にあるから、長く付き合ってきた友人でも、私のあざの存在を知らない人も多くいる。
自分が見せたいとか見せたくないと思う以上に、他者の視線に雁字搦めにされて、自分の気持ちを閉ざしてしまう癖があった。目立ちたくない、知られたくない、人に心配や迷惑をかけたくない。
上京して、最初にアルバイトを選ぼうとしたときも、制服が半そでの店では働けないような気がしていた。
今は、そんな会社があったら、こっちから願い下げるべきだと思う。
でも、18歳のピュアッピュアでド田舎から出てきた私は、それまで同じようにあざがある人には出会ったことがなかったから、どういう風に人に受け入れてもらえるかわからなかった。だから、見た目に異常な不安を抱えていた。
なのに2・3年前、私は思い切ってあざを受け入れることにした。
理由は、隠していた自分に飽き飽きしたから。というか、恥ずかしくないことだと気づいたからだ。
その時期に、ルッキズムという言葉を知り、フェミニズムに関心のある同世代やフェミニストの文章に触れるようになったのが、私の価値観に大きく影響していたのだと思う。
そして、半そでやノースリーブを着始めた。
あざを隠すために、腕を変な方向に曲げたり、腕を組むのをやめた。あざのことを聞かれても、たいしたことないよってどっしり構えていれば、そのほうがかっこいいじゃん!って思うようになった。
そしたら、6年ぶりくらいになんかのタイミングで再会した元カレに、「腕を出すことにしたんだ、強くなったんだね」と言われた。ちなみに、彼も足にあざがあった。どこかで彼とは、あざがあるもの同士の精神的な強いつながりを感じていたのかもしれない。
最近は、腕にペイントをしてみようと計画している。妹は、私のあざを鮮やかな色だと言う。アジサイでも書いたら、とってもきれいだろうと。そういう風に思ってもらえるのは、すごく嬉しい。
今思うと、私とあざとの関係性は、社会のルッキズムとそれを内面化した私の中のルッキズムとの闘いだったのかもしれない。そして、今も闘っている。
社会的に良いとされる、正しいとされるもの(容姿・身体)とは、いったいなぜ、どのようにして生み出され、社会で機能しているのだろうか。
受け入れるまで、あざは私の欠点だった。でも今は、「このあざはわたしのトレードマークかも!?」みたいに思えるようになり、こうやって、社会に対する新たな問いの芽も誕生した。
それが過去のわたしが今のわたしのために変わってきたこと。そして、今の私は、未来のために芽生えた問いに自分なりの答えを出そうと思う。
そして今の私は、左腕を誰の目線も気にすることなく、ぶんぶん振りながら歩けるようになった。
自身の身体を異質とされることに違和感を抱えて生きる他の人たちは、なにをかんがえて生きているだろうか。
それを知りたいから、まずは自分とあざとの向き合い方をここに残しておく。これも規模は小さいながら、私にとって、重要な社会的実践のひとつだ。