人生は夢だらけ
私はずっと自分を「そこそこ」だと思っていた。小3から塾に通い始めたのだが、そこの同級生たちは秀才揃いで私の成績は常に中の下レベル(国語が上、理数が下)。自分は勉強ができないとは思わなかったけれど、「めちゃくちゃできるわけではない」旨を子供の頃に自覚した私は、その後中学受験で国立の中・高に進んだが、京大や医学部を志す同級生が結構いるなか成績は中の上程度とそこそこ。大学受験ではそこそこの大学の文系学部に受かり、これまたそこそこの企業に勤める、といった具合だ。ちなみに3歳から23歳までピアノを弾いていたが、その腕前もまあそこそこだ。
その根底には常にこんな思いがあった。「まあ私はこんなもの」。子供の頃に自分より優秀な同級生たちに囲まれていたこともあり、「自分はもっとできるはず」と思ったことは一度もなく、何でもそこそこできたら上出来だと思っていた。誰かと比べて秀でている能力もなければ、特別何かを極めたいと思ったこともなかった。
こうしてそこそこ堅実に生きようとして、結婚したあたりから私はそれがうまくいかないと感じ始めた。周りに比べてどうであろうが、自分は自分のペースで物事を進めていけばいいし、好きなことをやればいい。このことに気づいたのはあの絶望期だ。
でもそれまでの私は、「トップクラスになれなければ意味がない」という価値観があったのだろう。まず自分が居る枠を決めて、その枠内で「自分より上に居る人」を見て、「私ごときがあんな風にはなれまい」と、無意識のうちにブレーキをかけていたように思う。私は常に、自分と似たようなバックグラウンドを持つ人たちを1つの「枠」に括り、そのなかで常に自分を「そこそこ」ぐらいにポジショニングしていた。冒頭の文からすでにお分かりだと思うが、早くから受験勉強を始めた影響か、私は「偏差値」的考えにどっぷり浸かっていたのだ。「クラスの枠内で自分の順位がどこか」という学生時代から成長できていなかった。
そして私はいつも枠内になんとか収まろうとしていた。しかし周りはよくわかっているもので、ベネッセを退職する際は同期に「今だから言うけど君、浮いてたよ」と言われたし、リクルートを退職する際に一番多くかけられた声は「専業主婦?嘘でしょ」だった。
このときは「みんな本当に私のことをわかっていない」と憤慨していたが、後になって自分が一番わかっていなかったことに気づいた。
そもそも枠を決めていること、そしてその枠の中で「そこそこ」レベルだと思っていること。これらは自分が脳内で勝手に作り出していた幻想で、それによって私は勝手に自分を制限していたのだ。本当は一人ひとりが個人としてユニークな存在であり、それは絶対評価されるべきなのに、私はいつも相対評価を適用し、自分のユニークな価値をあまり認められないでいた。
きっと私が今まで流れに乗ってきたのは、他の人が自分のユニークさを見つけてくれていたからではないかと思う。そして、そこに身を委ねることが心地よかったのだろう。枠を決めておきながら、自分をその枠から出してくれる何かが出てきたらそれに飛び乗る。枠を決めがちな自分だからこそ、そういうスタイルでバランスを取ってきたのかもしれないと最近考えている。
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先日、久しぶりに母校の大学を訪ね、先生方とお話しする機会があった。そこで聞いたのは、今の学生がとても保守的になっているということだった。もともと私が在籍していた学部は4年で卒業する人は全体の半分ぐらいで、あとの半分は留学やらワーホリやら放浪やら、各自が関心のあることをやって5~6年かけて卒業していた。それが、今の学生はとにかく4年で卒業したがり、留学も長期では行きたがらない傾向にあるという。留学自体、就活時「履歴書に書くため」と捉えている学生が多く、先生はせっかく協定校も増えたのにと嘆いていた。
目指す頂点があって、そこに向かって一歩ずつ登っていくことは立派だ。私は自分ができない分、それができる人を心から尊敬している。だからそのために寄り道せず4年で卒業し、入りたかった企業に入ることは1つの選択だ。
しかし、それはあくまで選択肢の1つであって、絶対ではない。流れに身を任せて寄り道してもいいと思うし、みんながみんな山を登る必要はないと私は思う。山登りが苦手だったら川を下ってみればいいし、川下りさえ苦手だったら何かほかの方法を見つければいい。1つの枠や、1つの価値観でうまくいかなかったらドロップアウト、ではないのだ。
私の場合は自分を理解せず、意識せずに流されてきて、社会人生活が15年ぐらい経った今になってようやくなんとか辻褄を合わせにきているが、できればもう少し早い段階で気づいておけるとよかったと思う。
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私のキャリアストーリーは今回で終わりだ。書く過程、自分の掘り起こし作業が自分でも思った以上に辛く、途中で若干話が粗くなってしまった箇所もあった。もう少し気持ちが落ち着いたらまたリライトしたいと思う。何人がこれを読んでくれているのかはわからないが、このストーリーが少しでも誰かの意識の片隅に残ってくれたら幸甚だ。
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