夏子の話④:人生の芯
2019年に夏子は第1子を産んだ。出産後は1年間の育休を取ったが、その件について事前に夫と話し合ったことはない。母親になる自分が長期育休を取ることが当たり前だと思い込んでいたからだ。しかしいざ育休がスタートすると、なぜ自分だけが休んでいるのかという疑問が膨らんだ。
夫とは職場で知り合った。シンクタンクの研究員に留まらず、学術分野の研究者としても通用するほど優秀な夫のことを夏子は尊敬している。それに比べて現場志向の夏子はシンクタンクには向いていないのではないかという迷いが常にあった。これまで戦略的・体系的にごみ問題を研究してきたわけではないし、偶然や俗っぽい考えをきっかけに決断してきたことの方が多い。だからこそ、何となく自分は「本物じゃない」という負い目のようなものが常にあった。
シンクタンクの研究員になって8年間、平日は夜遅くまで働き、週末の1日は仕事をするのが当たり前だった。文字通り仕事中心の生活を送り、それなりに成果も出してきたけれど、現場から離れたせいか「自分が社会を変えている」という実感は薄い。生の声を聞く機会も少なく、心を動かされることも減っていた。
そうして行き詰まっていたという事情もあり、夏子は育休を仕事から離れて考えるいい機会だと思うことにした。しかしそんな目論見は出産後にあっさりと崩れる。出産後はとにかく大変で、自分のキャリアについて考える余裕などまったくなかった。ようやく子供との生活に少し慣れてくると、次にやってきたのは焦りだ。
夏子が上勝に移住した頃とは違って最近はソーシャルビジネスが盛り上がり、メディアでは若者たちが無邪気に理想を語っている。その青臭さは微笑ましく、羨ましくもあった。行政に対する行儀のよい提言よりも、若者たちによる一見突拍子もないアイデアの方が手っ取り早く世の中を変えてしまうのではないか。理想の追求に疲れ、行政の現実を見て歯切れが悪くなった自分は、なんだかつまらないサラリーマンになったような気さえした。
やりたいことに邁進する夫に嫉妬することもあった。自分はキャリアを中断し、やりたいことも定まらない。苦しかった。夫のことをずるいと思うこともあったけど、自分が育休をいい機会だと捉えたのもまた事実だ。次にやりたいことを早く見つけなければと思った。
2020年に世の中の動きがスローダウンすると、夏子の気持ちも少し楽になった。少し成長した子供を連れて児童館に行ったり、ほかの母親と話したりと「ママライフ」を送る余裕も生まれ、それはそれで楽しかった。育休が明けて仕事に復帰したあとも、在宅勤務が増えたおかげで家族と一緒にご飯を食べている。それまでがむしゃらに働き、育休中は世の中に置いていかれるという焦りもあったが、仕事だけが自分を幸せにするわけではないと初めて思うことができた。
とはいえ母親になったからといって夏子個人の人生がなくなるわけではない。子供は自分とは別の人間であり、自分は自分の人生を続けていかなくてはならない。ではその人生には何が必要なのだろう。
考えた末に行き着いたのは、やはり理想とする社会の実現を追求することだった。それは人生のすべてではないけれど、自分が生きていくうえではどうしても欠かせない。そして夏子は、長らくその使命を見失っていたことに気が付いた。転職するときは自ら進路を選んだように思っていたけれど、結局はそこでも新たな「使命」がやってくることを待っていただけなのかもしれない。
無駄のない暮らしで成り立つ社会を実現するためにすべきことは何なのか、今度こそ夏子自らが考えて決める番だ。それが何なのかはまだわからないけれど、さまざまな経験をした今の自分なら上勝にいた頃よりも柔軟に追求できる気もしている。
この秋には第2子が生まれる。夏子はまた育休を1年間取る予定だ。今回は夫にも打診したものの、返ってきた答えは「自分は仕事を離れられない」というものだっだ。いざ子供が生まれるという状況でその発言をできることに何となく不公平感を感じたものの、そこは追及しなかった。夫の仕事に対する熱意は夏子よりも大きいと感じていたし、夫にはそこまでして続けたい仕事があるということだと自らに言い聞かせている。
2度目の出産後に何が待っているのかは未知数だ。40歳を迎えた今、この先の人生をどうしていくのかも決まっていない。今わかっているのは、自分はやっぱり現場が好きなこと、そして人生をかけて理想の実現を追求したいということだけだ。
Photo by Kelly Sikkema on Unsplash
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