カヨの話①:不登校、定時制、アラスカ
WeWork、Airbnbなど時代を象徴するグローバル企業を渡り歩いてきたカヨは気遣いのプロだ。変なプライドを持たず、過剰な対抗心もなく、常に周りの感情に配慮する。そんな彼女を作ったのは、不登校、定時制高校、専門学校、国際遠距離恋愛を経ての海外移住など、日本の企業で働く大半とはあまりにも異なる選択だった。挑戦してはその世界を必死に生き、志破れては軌道修正をしてきた彼女のリアルなもがきとは。
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カヨの原点は高校時代にある。けれどそれは、皆が想像する高校生活とは少し違っていた。
中学2年のときに親が離婚し、それまで住んでいた横浜から母の実家のある所沢に引っ越すことになった。埼玉県の郊外では横浜から来たというだけでいじめられる理由になる。上履きには画鋲が入れられたし、通学カバンは隠された。結局教室には行けなくなり、テニス部も辞めてしまった。
その代わり、カウンセラーが常駐する不登校生徒のための相談室に通うようになった。そこで知ったのが定時制高校の存在だ。中学生活からはみ出てしまったカヨは「普通の」高校に行くのが怖かった。それに家のことを考えると大学進学も現実的ではない。経済的に困窮していたわけではないけれど、それでもシングルマザーとなって自分と弟を養う母親の負担を減らしたかったのだ。だから昼間に働ける定時制高校は当時のカヨにとってベストな選択だった。
青春した記憶はまったくない。9時から17時まではパート社員として書店で働き、18時から21時に授業を受けるという生活を4年間続けた。17歳の書店員に課せられた仕事の責任は重く、コミックの発注が間に合わずに怒られたこともある。18歳になってからは運転免許を取得して車で通学した。同じ電車に乗り合わせる他校の男子にときめくこともなければ、友達と放課後に遊ぶこともない。そんな「普通の」高校生活を謳歌する元級友たちとはもはや話が合わなかった。
定時制のクラスメートはほぼ全員が「普通」からこぼれ落ちた人たちだ。70代のおばあさん、元ヤクザのおじさん、リストカットを繰り返す若い女性もいた。そうしたあまりにもユニークな級友たちに囲まれた高校生活は今でもカヨの原点だ。学ぶ目的や価値観、背景が多様な人たちと机を並べるうちに、色んな人生があること、そして人は比較しようもないことを学んだ。だからこそ、カヨも「普通」に囚われることがなくなったし、我が道を進もうと思えるようになった。
全日制の子を羨ましいとは思わなかった。そもそも多忙を極める生活では人を羨む余裕すらない。当時のカヨは書店で発注ミスをしないように必死だったし、高校では生徒会もやっていたうえ、英会話スクールにも通っていたのである。
英語に興味を持ったきっかけは仕事先の書店でたまたま見た留学ジャーナルである。留学先でキラキラ楽しそうにしている学生の姿を見て純粋に憧れた。高3のときには働いて貯めたお金でカナダのトロントに行き、3週間のホームステイを体験した。そのときに自分の英語がまったく通用しないという現実を知り、それを機に英語を専門的に勉強したいと思うようになった。
そうして進んだのが語学専門学校の通訳科である。このときカヨは大学に行かないという選択が意味するものにまったく気付いていなかった。教えてくれる大人もいなかったから、全部ひとりで決めた。
通訳科を選んだのは、定時制を選んだ自分自身が理解されないことが多かったからだ。わからないものをわかるように伝えるという仕事に自然と興味を持った。それが好きな英語ならなおさらだ。言葉を通じて色んな人が理解し合えるようつなげてみたかった。
けれど、そんな夢は在学中に潰えた。通訳の仕事は外国語だけでなく、母国語である日本語の知識、教養、ニュースを読み解く力なども求められる。それはカヨが思っていたよりずっと大変だった。もう少し社会人経験を積み視野を広げることが必要なのではないかと感じ始めた。
決定的だったのは学校のプログラムで参加したアラスカでの有給インターンシップだ。もともとは手配業務の補佐を担当するという話だったが、着いてみれば人手が足りないからと通訳を頼まれた。プログラムの取り決めから明らかに逸脱した内容だったが、人手が足りないという現実を前に断れる空気ではない。結局はアラスカ滞在中の3か月間、日本から来る旅行客の現地ツアーに同行しては通訳とガイドを担当することになった。しかも年齢とアラスカ在住歴を偽装するようにも強要された。実際は20歳で在住歴0か月だったカヨは、25歳で在住歴5年と詐称することになった。
そもそも日本からわざわざアラスカに来る人はお金持ちか、海外旅行好きか、オーロラマニアか、登山家だ。アラスカど素人のカヨのガイドで彼らを満足させられるはずもない。オーロラの原理の説明を間違えて怒られたこともあるし、バスのなかほかの客もいる前でおじいさんに「お前のようなガイドのために何十万も払ってるんじゃない」と怒鳴られたこともあった。どんな人であれ公衆の面前で怒鳴られていいはずはないが、身分を偽装した素人ガイドのカヨに返す言葉はなかった。悪いのは明らかに旅行会社だが、当時のカヨは自分が挽回しないといけないような気がして、ガイドを担当しなくてもよいフリータイムの時間までおじいさんのアテンドを引き受けた。
カヨには何についても「自分が悪いのでは」と考えてしまう癖がある。このときも、アラスカの知識のない自分が悪いと考えてしまった。だから休日もひたすらアラスカ勉強である。スマホがない時代、ノートパソコンも持っていなかったカヨは図書館や博物館に通いつめた。毎日がとにかく辛く、失敗体験だけが積み重なっていく。冷静に考えると包丁の使い方を覚えたばかりの新人に厨房を任せるような状況であり、何もできなくて当然だ。けれど自分勝手な大人たちに利用されていた20歳の学生には、その事実に気付く余裕はなかった。
こうして3か月間をアラスカで過ごした結果、通訳者になりたいという思いは完全になくなった。
Photo by MChe Lee on Unsplash
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