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「川下り型キャリア」を実践する女の話:イントロダクション
「君のキャリアは川下り型だね」
これは元上司で現リクルート社長の北村さんに言われた言葉である。当時私はサンフランシスコにあるUXデザイン会社でマーケティング部門を統括するディレクターとして働いていて、北村さんは出張でサンフランシスコを訪れていた。マリオットホテルの最上階にある夜景の素敵なバー「The View Lounge」で飲みながらリクルート退職以来の紆余曲折を話した私について、北村さんはそう表現した。
それまでキャリアに「山登り型」と「川下り型」があるなんてまったく知らなかった私はこの言葉をいたく気に入り、その後自分のキャリアを語る際に必ず使うようになった。
自分のキャリアが少々特殊かもしれないことは自覚している。それでも私が自分のことを書こうと思ったのは、若い人たちに自分で自分の未来を制限しないでほしいと思うからだ。
実際にこの数か月間、取材で多くの学生や若手社員と話す機会があったが、みんな非常にしっかり将来設計をしていた。しっかりしているなと感心する一方、未来のことを想定しすぎではないかという思いもあった。
もっと自由に生きていいし、キャリアの正解は1つじゃない。社会的プレッシャーに囚われずに色んな生き方が認められる社会になればいいなという願いを込めて、ささやかな一事例として私のストーリーを伝えていこうと思う。
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まずは自己紹介を。私は1981年生まれ、京都市出身。現在は主にフリーランスのライターとして企業のオウンドメディアに記事を書いたり、海外のサービスの日本語コピーを作ったりしている。ちょこっとだけリサーチの仕事もしている。
新卒で入ったベネッセでは英語教材の編集者としてキャリアをスタート。2年目の終わりにリクルートに転職し、編集、メディア企画、そして新設部署の事業推進の仕事をして、結婚を機に退職し、仙台へ移住した。
仙台では3か月間の専業主婦生活の後、「扶養の範囲内」で東北大学で研究室秘書の仕事をしていた。しかし諸々あって一念発起し、35歳にしてサンフランシスコの小さなUXデザイン会社で無給のインターンを始める。その会社で正社員に採用されたのを機に離婚し、マーケティング部門を統括するディレクターとして働くこと約2年。2019年2月にその会社を退職し帰国、現在に至る。
以上が簡単な経歴だ。大企業の正社員、専業主婦、パート主婦、海外インターン、海外中小企業のディレクター、そして現在はフリーランスとなかなかバラエティに富んでいる方だろう。
もともとこうなることはまったく想定していなかった。もちろん、「いつかアメリカで働けたらいいなぁ」という夢のようなものは持っていたけれど、自分がそれを本当に実行するような気概のある人間だとは思っていなかった。それどころか結婚をして正社員の職を辞した時点で、自分自身の人生に対する裁量をある意味放棄していたところがある。
一方、過去の経験から「うまく流れに乗るといいことがある」というのも漠然とわかっていた。たとえば大学生のとき、たまたまゼミの教授に留学を勧められてアメリカの大学に行ってみたらものすごく世界が広がったし、ベネッセ時代に付き合っていた人に影響されてリクルートに転職したらとても楽しい仕事ができた。他にも人の意見に影響を受けて決断したことはたくさんあるのだが、いずれもじっくり考えて行動したものではない。ほぼ即断即決で、それは言わば「勘」のようなものだったと思う。
リクルートに勤めていたとき、「未来を想像し、なりたい自分になるには今何をしたらいいか考えましょう」という研修があった。それまで人の影響をうまく受けて選択をしてきた私は自発的に未来を想像するというのができなかった。なぜならその研修時点での自分の頭で想像できることなど知れているし、この先どんな人と出会ってどんな影響を受けるかなんてわからなかったから。結局「なりたい自分というのは特にない」という結論でレポートを提出し人事を困惑させた記憶がある。
余談だが今でもその研修で未来を想像しなかったことは正しかったと思っている。スマホもなかった当時想像できた未来なんて今とはまったく違うものだっただろう。
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さて、上に挙げた私の経歴のなかで一番転機になったのはサンフランシスコでのインターンだ。サンフランシスコでの仕事に出会うまで、私は自分のキャリアについて否定的に考えていて、自分は何の専門も持たない行き当たりばったりの人間だと思っていた。20代の生き方について後悔もしていた。
次回はサンフランシスコでのインターンを決めた経緯について書きたいと思う。
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