①明るく社交的だけど過敏で超神経質という、典型的なHSE型HSPだった幼少時代
昭和39年(1964)3月、東京都八王子市生まれ。血液型A型。父親は当時都立高校の英語の教師。母親は専業主婦、それに3歳上の姉が一人いる。
何一つ不自由なくすくすく育った幼少時代の僕は、家でも学校でも明るく「いつもニコニコ笑ってるね」と先生や近所のおばさんによく言われた。
学校の成績は中ぐらいで、国語や図工が好きだった。
そのころは偏食がひどく家ではまあまあ食べられたが、店屋物をとるときはざるそば等、さっぱりしたものしか食べられなかった。
外食はもっとひどく、ほとんど食事に手を付けられなかった。
だから学校では給食の時間が大嫌いで苦痛でしかなかった。もともと肉など、こってり栄養のあるものなど食べられなかったけど…。
普通、好き嫌いが激しい子供たちの多くは、昼休み早く遊びに行きたくて(注1)にんじんやグリーンピースなど鼻を押さえて無理やり口に入れて飲み込んでいた。
しかし僕は昼休みが無くなっても頑なに拒んだ。というか気持ち悪くて吐きそうになり、口の中に入れることすら出来なかった。
子供の頃の僕は、自分で言うのも変だが、人一番感受性が強く情緒豊か?だったと思う。言い換えればそのころから非常に繊細で神経質だった。
注1、当時、給食を完食しないと昼休み無しで、食べられるまで居残りという謎のルールがあった。