夕凪あろーん

幼少期からHSP気質だった僕が、精神疾患(パニック障害・うつ病・不安障害・双極性障害等)になり、Twitterの140文字ではちょっと足りなく思ったことをつらつらと書いてるブログです。

夕凪あろーん

幼少期からHSP気質だった僕が、精神疾患(パニック障害・うつ病・不安障害・双極性障害等)になり、Twitterの140文字ではちょっと足りなく思ったことをつらつらと書いてるブログです。

最近の記事

初めての入院で思ったこと〜老化は足から〜

僕は初めて精神科のストレスケア病棟に入院することになった。ストレスケア病棟とはうつ病やうつ状態で、割と軽い症状の患者が任意で入院し休養をとる病棟。だが入ってみると患者の半分以上は老人介護がメイン。そのほとんどが車椅子。上半身は割としっかりしている。僕が入院し、もうすぐで1週間経つが、入院してると、もちろん静養という目的があるけど、就寝時以外ほとんど座っている。1週間そうしているだけで立って歩くのが億劫になる。またクロックスのゴム底がブヨブヨと安定しなくなる。良く老化は足からと

    • 気分安定薬と抗うつ剤の組み合わせについて

      僕は双極性障害Ⅱ型で、そのほとんどがうつ期。躁状態になったのはほとんど記憶にない。うつ状態にラツーダを服用する前は、気分安定薬(ラモトリギン)に少量のデュロキセチン(サインバルタ)を併用していた。SNRIなので躁転の危険性はあったが、あまり酷いうつ状態のためラモトリギンと併用していた。また、デュロキセチンは慢性疼痛で整形外科の先生も出したがっていたため一石二鳥だった。デュロキセチンを服用していた時、多幸感や気が大きくなった時があったが、それは自覚していた。その代わり不眠が続き

      • なぜちょい鬱がいいのか?~精神科医が低空飛行を勧めるわけ~

        先週の火曜日(1/16)約1年ぶりに町田市にある耳鼻咽喉科へBスポット治療へ再度行ってみた。昨年春ごろ4回通って効果が表れなかったので行くのをやめてしまったところだ。小平の国立精神・神経医療研究センターのコロナ後遺症外来へ行き、検査や漢方薬を処方されても、精神科のクリニックへ通っても、一年前より症状が悪くなっているからだ。次回の1/29日の予約までずいぶんと時間があるので、もう一度Bスポット治療へ再挑戦しようと思った。院長先生の処置は喉をゴリゴリこすられとても痛かったので、女

        • 精神科医は漢方薬に精通しているのか?~「フローチャートコロナ後遺症漢方薬」を読んで思ったこと~

          開業時から約30年診てもらっていた精神科医が勇退してしまったため、僕は新たに精神科医を探すことになり、昨年2件精神科を変わった。精神科や心療内科は相性があるため、評判の良い先生は半年待ちや、新患は受け付けていないことも多い。永らく診てもらっていた先生がどれほど親切丁寧に患者に寄り添っていたか転院してから初めて気が付いた。その先生は長時間ではないが毎回自由診療でリーズナブルな料金でカウンセリングもしてくれた。他愛もない世間話なども多かったがそれでも、とても気持ちが落ち着いた。

          コンフォートゾーンは知らぬ間に~スペース(X)で思ったこと~

          まず最初に断っておくが、このブログは特定の誰かにあてた攻撃や、エアブログでは一切ないことを言っておきます。むしろ自分の心の変化に自分自身が驚いている。 人間は自分のパーソナルスペースや、コンフォートゾーンがあり、そこへ急に入られると不快な思いや違和感を感じたりすると言われている。それは仲の良い人でもである。 そのスペースのホストはいつも同じ時間帯に自分が立ち上げ、仲の良い同士2~3人が入り、たわいもない話などしながら夕食などを作っていた。その中にいつも僕がいた。そこへ違う仲間

          コンフォートゾーンは知らぬ間に~スペース(X)で思ったこと~

          久しぶりのブログ投稿

          半年前頃から、始めてずーっと放置していたこのブログ。 僕の幼少期から大学生活に至るまでの病状などを綴ってきたけど、過去のこと書いても自分でもつまらないし、なんか気が変わったからこれからは、気が向いたとき、140文字じゃ伝えられないことを期間とか決めづにまた始めようかと思ってます。 もう書き方も忘れちゃった(笑)

          久しぶりのブログ投稿

          ⑦ほぼ寛解し、はっちゃけた大学時代

          大学へ入ると病気の症状はほぼ寛解に近く、アルバイト先で出会った初めての彼女と、バブル景気も手伝って夏は海へ冬はスキーへ、ドライブや旅行を楽しみ青春時代を謳歌した。また趣味だったギターの音楽仲間とバンドを組み、ライブハウスや学園祭にも出演した。 遊ぶお金欲しさにバイトばかりに精を出し、講義の出席がおろそかになり後に1年留年してしまった。 ただ、クラブ活動やサークルは病気のことがあり、団体生活をおくれるか自信がなく、と言うよりコンパなどで先輩にお酒を強要され、またパニック症状が出

          ⑦ほぼ寛解し、はっちゃけた大学時代

          ⑥初めての心療内科!初めての抗うつ剤!

          T医院は吉祥寺駅から北へ5分ほど歩いた街道沿いにあった。 当時僕が住んでいた、京王線めじろ台駅から明大前経由で、井の頭線の終点吉祥寺駅まで特急で40分程度だが、たどり着くまで2度も気分が悪くなり、父と一緒に車両を降りホームのベンチで休んだ。 診察の結果、仮面うつ病と診断された。 「大丈夫です、これを飲んでいれば良くなりますよ」 無口でそっけない先生だったが、これであの言いようのない苦しみから解放されると思うと救われた気分で一杯で、受付で薬をもらい足早に家へ帰った。 後で調

          ⑥初めての心療内科!初めての抗うつ剤!

          ⑤離人症発症!~霧のヴェールで私を包み込むわ~

          高校2年のある日、ふと周りを見渡すと木や山、校舎、電車、人、ホーム、空……僕の目に映るすべてのものがまるでヴェールに包まれたように見えて、美しい景色も暗いフィルターを通して見ているようで、暗くて悲しげで切なくて……。 僕は頭がおかしくなってしまったのではないかと思いながらも、誰にも言えず、親にも相談せず、ただ一人悶々と日々を過ごしていた。 今思うと、そんな精神状態でよく一週間もの長い期間修学旅行へ行ったなと感心する。 高校3年になり大学受験も控えてきたころ、それまでの精神状態

          ⑤離人症発症!~霧のヴェールで私を包み込むわ~

          ④高校へ進学!が、都落ちで凹み、いよいよ精神を病む。

          昭和54年(1979)4月、高校は山梨県上野原にある日大明誠高校へ入学。 八王子在住の他の生徒と同じく都内の学校へ憧れていたので、かなり凹むw. ただ、今考えると勉強大嫌いで成績も下の方だったので付属高校へ行ってなかったら、うつ病発症中に大学受験はかなり厳しかったと思う。 高校では中学校時代からの趣味のギターをやりたくて音楽部へ入部。ただ体育会系部活と違いかなり緩いクラブ活動だった。 高1の夏休み、友人と一緒に初めてアルバイトをした。高校生なので軽作業だったが倉庫内にエアコ

          ④高校へ進学!が、都落ちで凹み、いよいよ精神を病む。

          ③食育の影響は偉大だった!...が、小細工もするようになる中学時代

          中学へ入り大嫌いだった給食がお弁当に変わる。 基本的に食は細かったが、母親が卵焼きに野菜を混ぜたり豚肉の生姜焼きを作り、調理法を駆使しお弁当へ入れてくれて残すことが少なくなった。 給食のときは体重は30kg後半で身長も前の方だったが、成長期ということもあり体重は50kg代へ、身長も160cm代になった。 身体の成長とともに、ちょっとだけ精神的にも強くなった気がする。 中学校では毎週月曜日の朝、朝礼がある。生徒は校庭に並ばされ教頭先生や学年主任の長話を聞かなくてはならない。朝

          ③食育の影響は偉大だった!...が、小細工もするようになる中学時代

          ②遠足で初めてのパニック発作・嘔吐恐怖発症!?

          小学校5年生の遠足で高尾山へハイキングへ行き友達と歩いている途中、胸がドキドキして冷汗が出てきて、発狂してしまうのではないかという、言葉で言い表せないような…そして歩けなくなってその場へしゃがみこんでしまった。しかし吐きそうなのに嗚咽はするものの何も出てこなかった。 今思うとそれがパニック発作の始まりだったのかもしれない。 その頃から普段、普通の生活をしているときは何でもないないのだが、遠足や運動会や学芸会など普段と違うことがあると、楽しみな半分、またあの発作が起きるのではな

          ②遠足で初めてのパニック発作・嘔吐恐怖発症!?

          ①明るく社交的だけど過敏で超神経質という、典型的なHSE型HSPだった幼少時代

          昭和39年(1964)3月、東京都八王子市生まれ。血液型A型。父親は当時都立高校の英語の教師。母親は専業主婦、それに3歳上の姉が一人いる。 何一つ不自由なくすくすく育った幼少時代の僕は、家でも学校でも明るく「いつもニコニコ笑ってるね」と先生や近所のおばさんによく言われた。 学校の成績は中ぐらいで、国語や図工が好きだった。 そのころは偏食がひどく家ではまあまあ食べられたが、店屋物をとるときはざるそば等、さっぱりしたものしか食べられなかった。 外食はもっとひどく、ほとんど食事に手

          ①明るく社交的だけど過敏で超神経質という、典型的なHSE型HSPだった幼少時代

          ぼくのメンタル日記

          幼少期よりHSP気質だった僕が、平成6年(1994)に書いた手記を固有名詞等、編集しなおし、ブログに残そうと始めました。 30年近く前に書いたものなので、拙い表現があると思いますが、その時の心情を赤裸々に伝えたいと思います。 時系列で、ときどきアップしていこうと思います。

          ぼくのメンタル日記