【短編】猫鍋屋
寒い、寒い日のことだった。
私は夜の道を、寒さに凍えながら歩いていた。
今年買ったばかりのマフラーは私の首元を守ってくれたが、風からはやはり逃げたいもの。とはいえ、夕飯はなんとかしなくてはいけない。
コンビニのご飯で済ませるのも味気なく、寒さから一旦逃れるべく、どこかの店に入ろうと思っていた。
何がいいだろう。温かいものがいい。うどんがいいか、それとも牛丼でもかきこむか。
商店街の片隅を歩いていると、不意に見た事もない看板が目に入った。
「猫にもちょうどいいおなべの店:猫鍋屋」
そんなのぼり旗が立っていた。
猫鍋屋。
変わった名前だ。
猫なべ。
ねこなべ?
そういえば、鍋の中に猫が入っている写真を見たことがある。あの猫鍋というのは、昔、片付け中の鍋の中に猫が入る様子をカメラにおさめて人気になった動画だか本だかがあったらしい。あれをオマージュしているのだろう。
しかし、猫にもちょうどいいとはどういうことだろう。
「ここだ、ここだ」
「ここがちょうどいいなべのみせだ」
「おいしいと評判の鍋なんだ」
私が店構えを見ながら悩んでいると、スーツ姿の人々が次々に入っていくのが見えた。
……普通の人間じゃないか。
しかし、鍋というのもいいかもしれないな。私はそう思って、彼らに続いて店に入ることにした。
店の中は温かく、ほっとする。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
「一人だけど、いいですか」
「はいぃ。一名様、ごあんなぁい」
和風の店だった。
席はみんな小上がりになっていて、テーブルの下には足を入れられる空間があった。下も温かな空気が出ている。片隅には膝掛けが置いてあり、それを膝にかけたり、肩に引っかけたりしている人もいた。
メニューはほとんど鍋ばかりだ。うどん鍋を筆頭に、味噌煮込みや、蟹鍋もある。海の幸が多い印象だが、トマトスープやチーズ鍋といった洋風の鍋もあった。ハッとしたが、ちゃんと一人用の鍋もあった。さて、どうしよう。
「一人用うどん鍋、ひとつ」
「はぁい」
これは、いい店を見つけたかもしれない。
私は一人用うどん鍋が来るまで、楽しみに待っていた。
「どうぞ、こちらになります」
ところが、やってきた鍋は湯気が立っていなかった。温かいことは温かいが、どうにもぬるい。それに、ネギも入っていない。
どうしたのだろうか。
私はもう一度店員を呼んだ。
「あのう、これぬるいんですけど……」
「えっ? ……あっ!」
店員は私の顔をまじまじと見た瞬間に、何か驚いたような声をあげた。
「これは、申し訳ありません。こちらの手違いでして」
頭を下げて、申し訳なさそうに言う。
「取り替えさせていただきます。取り替えた分のお代は結構ですので」
ぬるい鍋は持って行かれ、やがて新しい鍋がやってきた。そっちは普通の鍋だった。湯気が立っていたし、熱々で、ネギも入っていた。少し肩透かしを食らったが、一人用鍋は美味しかった。一人暮らしでは鍋料理をすることもほとんど無かったが、これはいい。酒も一杯くらいは欲しくなる。スープも全部飲み干したいくらいだ。シメはご飯と卵を頼んで、雑炊にしてかきこみたい。
はふはふと鍋に舌鼓をうっていると、がやがやとスーツの客たちが鍋を食べ終えて出てきた。
「いやあ、温まったね」
「よかったねえ」
「また食べたいね」
ちらりと見る。
妙な人たちだった。若そうなのに背は丸まっているし、ひくひくと鼻を動かしている。そろそろと歩いている様は、まるで足音がしない。よく見ると、店の半数はそんな人たちだった。
会計に向かう客のスーツの裾から、猫の尻尾が二本、ちらちらと揺れていた。
「……あー」
思わず口に出ていた。
そういうことか。
この店はつまり、そういう店なのだ。
私は納得して、シメの雑炊のためにご飯を注文した。
次に来る時はちゃんと、「人間用」だと最初に注文しておこう、と思いながら。
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