卵巣腫瘍取ったよ日記⑥〜術後1日目〜
1月8日。
夜中に何度も起きたおかげで、ものすごく眠い。おまけに点滴と尿管カテーテルのせいで動きづらいのもあって、腰痛持ちには苦行と言ってもいい。
体温は37℃台が続いていたけれど、特にしんどいとは思わなかった。血圧も安定していて、傷の状態も良いらしい。
「飲めそうならちょっと水分摂ってみましょうか」
朝の回診後、看護師さんに言われて歓喜。あまりにも喉が渇きすぎていた。術後、最初の飲水は看護師が立ち会うとのこと。誤嚥が多いそうだ。
最初に飲んだポカリ、ものすごく美味しかった。調子に乗ってグビグビ飲んでしまった。
「じゃあ、歩行訓練しましょうね」
ついに来た。お腹に穴を開けて臓器をひとつ取ってからまだ24時間も経っていないのに、である。そもそも起き上がれる気がしない。お腹に力を入れると、傷穴からいろいろまろび出るんじゃないかと不安になる。
片足ずつベッドから下ろして、手すりに掴まってゆっくり起き上がる。目眩がしたけれど、すぐに落ち着いた。
「大丈夫?立ち上がれそう?」
こういうときに爆豪勝己(僕のヒーローアカデミア)や嘴平伊之助(鬼滅の刃)並に負けん気の強さを発揮する私、点滴スタンドに手をかけ、ゆっくりと立ち上がる。
「その場で足踏みできそうかな?」
余裕である。
「じゃあ、ちょっと距離あるけどトイレまで歩いてみようか。休みながら、ゆっくりでいいからね」
このトイレまでの往復を完遂すれば、尿管カテーテルが外れる。なんとしても歩かねばならぬ。
点滴の管とカテーテルをぶら下げたまま、恐る恐る足を踏み出し、廊下へ出る。行けそうな気がする。
ゆっくりと、しかし着実に50メートル先のトイレへ向かう。廊下ですれ違う看護師さんが「頑張って!」と応援してくれた。歩くだけで応援してもらえる優しい世界。
トイレに着いた。ゆっくり方向転換をして、来た道を戻る。かなり余裕が出てきて、付き添いの看護師さんと世間話をしながら歩いた。
部屋に戻ると、さすがに体力を使い切ったようで起きていられなくなった。
「ひとりでトイレ行けそう?行けそうならカテーテル外しちゃうけど」
「行けます!」
体力には自信があった私だけど、いきなり100メートル歩けるとは自分でも驚きだった。無事にカテーテルが外れて、あとは点滴が外れれば晴れて自由の身である。
カテーテルが外れたので、それまでは介護用のT字帯を着けていたのを着替えさせてもらった。(お腹の傷に干渉しないよう、マタニティ用の下着を用意しておいたのだが大正解だった。退院した今も愛用している)。
お昼までのんびりしようとスマホを見ていたら師長さんが来た。何やら深刻な顔をしている。
「回復が早くてもう歩けるようになったと聞いて、お願いがあるんです」
入院待ちの患者が大勢いて部屋が足りず、病室を開けたいそうだ。今なら産婦人科(専門)病棟に個室を用意できる、と。
入院期間が短縮されるのではと焦った私、追い出されるわけではないと安心。
「大丈夫ですよ♡」
この病棟の看護師さんたちには本当に良くしてもらったので、このくらい協力しないと女が廃る。という思考。午後にも部屋を移ることになった。
昼食はいきなり米が出た。最初はお粥だと思っていたので嬉しかったけれど、残念ながら食欲がない。ほんの少し煮物をつついて横になった。
ちょうど面会時間になって母が来たので、再度師長さんから母に病室変更のお詫び。本人がいいと言っているので、母も快くOK。
ワゴンを1台借りて荷物を乗せ、私は人生初の車椅子で移動。
新しい部屋は3階。窓の外にはさっきまでいた病棟が聳え立っていて、ブラインドを開けられない環境だった。ま、仕方なし。エアコンは静かなので、少しは眠れそう。
昨日の手術後、死ぬほど体調が悪そうだった私がめちゃくちゃ元気になっていて、母は驚いたらしい。仕事を早退して様子を見に来てくれた夫も「なんでそんなに元気なの?」と拍子抜けしていた。
元気におしゃべりするようになっても食欲は回復せず、夕食も半分ほど手をつけて終了。疲れて爆睡した。
体温は相変わらず高かったけれど、血圧は元通り。お腹の傷も、「綺麗ですね」と言われるほど経過は順調らしかった。
手術については、昨日私が朦朧としていてちゃんと聞けなかったので夫と母から聞いた。夫、「摘出した卵巣、見ますか?」と訊かれて断ったらしい。なんでや。世界にふたつしか存在しない私の卵巣やぞ。見れるなら私が見たかったし、瓶詰めにして部屋に飾りたいくらいなのに。(実際は病理検査に回すので不可)
手術前になんとしても写真を撮っておいてくれと頼んでおくべきだった。今回の入院でいちばん後悔した。