♪ラララプレイステーション
プレステが発売されて25年。
2019年現在僕は36歳。
1994年。プレステが発売された。
僕は小学5年生。11歳の時だ。
ある日仲のいいクラスメイトのOくんが言う
「プレイステーションを買ってもらったんだ」
プレステが発売された当時、ほとんどの小学生はスーパーファミコンやゲームボーイで遊んでいたのではないかと思う。世間では様々なハードやソフトがリリースされたが、その当時、いまだに大技林を開いてはファミコンで遊んでいた僕にとっては『プレステ』という言葉はほとんど未知との遭遇だった。
発売元はソニー。
ソニー。もう家電じゃないか。
子どもながら、そんなことをぼんやりと思った。
周りの子どもたちは次々にプレステを手に入れていった。
これまでのハードはいわゆる、一家だんらん系の庶民的なデザインだったが、(今となってはどのハードもカッコいい)プレステの登場により家庭用ハードとしても高いデザイン性を重視されるようになっていったのではないだろうか。
ゲーム業界もいろんな事情があるのだろう。ゲーム業界のことは何も知らない。
ソフトはディスクで、ゲームによっては2枚組の
ものがある。そう、1997年年発売の名作FF7。2枚組で『ディスク2』への切り替えが素晴らしくカッコ良かったと記憶している。人生初めてのディスクチェンジは中2。14歳の頃だった。その感動は今でも覚えている。セーブデータはメモリーカードで保存する。
魔晄炉、神羅カンパニー、列車、ロボット、スラム街。都市ミッドガル。繁栄と貧困が同時に描かれた世界は、僕の多感な感受性を刺激した。ケーブルテレビのチャンネルnecoで放送されたアニメ版『AKIRA』の衝撃を受けたばかりの僕にとってFF7の近未来の世界観はかなりクールだった。
36歳になった今でも未だクリアはしていない。
36歳になった今でも『AKIRA』を観る。
そんな僕とプレステの出会いは地元の友だちがある日、僕の家に持ってきた出所不明の怪しいプレステとFF7。それが出会いだった。
サバイバルホラーの金字塔となったバイオハザード。今現在でもシリーズはリリースされている。去年、『レジデントイーブル』のプレイ動画を観たが最後まで観ていない。途中でもういいやってなった。
1996年発売のホラーゲーム。当時は誰しもがビビりながらプレイしたのではないだろうか。僕もビビりながらプレイしていた。ゾンビが振り返るCMは今でも鮮明に覚えている。
洋館、閉鎖、サバイバル、謎解き、ゾンビ、研究所。もう面白いとしか言いようない要素しか詰まっていないゲームである。シリーズを重ねるごとに、操作性が高くなり、シナリオやキャラクターの選択が出来るようになっていった。
やがて、サバイバルナイフ一本で縛りプレイをする者、ロケットランチャー欲しさに3時間以内でクリアする者が現れるようになった。大のゲーム好きで知られる加山雄三さんも3時間以内のクリアを目指したそうだ。そんな僕も加山雄三さんのようにロケットランチャー欲しさに3時間でクリア出来るようになっていた。夜な夜なプレイしてはかなりの腕を磨いた。
あの頃、夢中で手に入れたロケットランチャーはもう手に入らない。加山雄三さんも同じように思っているのだろうか。
市街戦が好きだった。
『エースコンバット2』部隊名は“スカーフェイス”何よりもグラフィックが好きで、市街戦におけるミッション「補給港奇襲」“CITY ON FIRE”が好きだった。なぜ好きかと言うと、湾岸に面した都市上空で戦闘が行われるからだ。
当時のグラフィックこそ荒いものの、都市における湾岸グラフィックがカッコいいと思っていたからだ。アニメ版『AKIRA』の影響で、当時、湾岸のクールさに気づき始めていた。(ネオ東京は東京湾を埋め立てて作られた架空の都市)
小5にして埋め立てフェチ、湾岸フェチに目覚めたのかもしれない。
描き込まれた背景見たさに、まともに敵機と戦闘せず、逃げに逃げてはビルディングが建ち並ぶ、一番栄えていると思われる、繁華街らしき街付近に近いてビルディングに体当たりして自ら墜落していた。もう自爆テロそのものである。
墜落後、リプレイされるが、俯瞰で見るビルディングに突っ込んでいく様がまたカッコいい。不謹慎ではあるが9.11を想起させる。僕のエゴを満たすためだけに死んでいったパイロットたち。ありがとうとごめん。
ミッションをクリアするごとに戦闘機を手に入れていく。手に入れたお気に入りのステルスで渓谷エリアを最速でクリアを目指す。パイロットテクニックは常に磨いていた。
勲章こそ少なかったが、こちらも未だクリアしていない。
僕の人生に未だ勲章なんてない。
その後も様々なソフトで遊ぶようになる。
ドラクエ7、パラッパラッパー、モンスターファーム、トバルNo,1、ブシドーブレード、パラサイトイヴ、リッジレーサー、レイジレーサー、グランツーリスモ。
今でこそ攻略サイトがあるものの、当時は攻略サイトなんてものはないので、躓けば詰む。
たかがゲームにして、されどゲーム。攻略において手厳しいシステムだった。
石版を見失い、所詮中学生にヒップホップの血は流れず、手元にあるCD(マニックス、スエード、T.rex、ブラー、ニルバーナ、クーラシェイカー、イエローモンキー)を片っ端から再生してはモンスターを誕生させ、格ゲーが苦手で、色んな人にパラサイトしてきた。
そしていろんな人生のレースに負け続けてきた。
それらのどのゲームもクリアしていない。
今振り返ってみても多感な時期にプレステに出会い、プレステ時代(プレステバブル)を過ごして来たのだなと思う。バキバキにソリッドな感受性の中でプレイしてきたプレステ。
僕の青春にはいつもゲームがあった。
そして伝説へ...
プレステは次の時代へ移行する。
2000年。プレステ2がリリースされる。
高校2年生。僕は17歳。
プレステが発売されて25年。
ゲームはいつでもネットに繋がる時代になった。コンテンツが追加されるようになり、ゲームは配信され、ダウンロードする。そして実況される時代になった。YouTubeではゲーム実況という職業まで生まれた。
2019年。僕は36歳になった。
かつてクリア出来なかったゲームのプレイ動画を観ている。顔も名前も知らないどこかの誰かが親切にも日夜クリア動画をアップしてくださっている。
プレステに夢中になったあの頃を取り戻すかのように夢中でそれを観る。今となってはゲームを観る側になった。
プレステは今なお進化している。
人生にはゲームのようにイージーモード、ノーマルモード、ハードモード、エクストラモードがある。時としてハードモードやエクストラモードになることもある。日々のクエストをこなしていくことによって、突然イージーモードになることもある。
リセットや再起動はできないが、人生のデータは上書き保存をすることもできる。過去は書き換えられる。
以上、プレステの思い出でした。
ちなみに、タイトルの『♪ラララプレイステーション』はプレステが発売された当時のCMで流れていた曲。斉藤由貴さんが歌われています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
また更新します。