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仏のシナリオは、わたしたちが人生を
「遊ぶ」ように書かれているとひろさちや氏は言います。

遊ぶは英語で「play」ですが、それに対する言葉が「ワーク(work)」とか「レイバー(laybor)」という言葉になります。

"レイバー”のほうは肉体的労働が中心になっていて、苦痛ばかりが多く、精神的な喜びのない労働です。

それに対して"ワーク"のほうは、肉体的・精神的労働の両方に使い、たしかに苦痛を伴いますが、精神的な喜びもある労働をいいます。

ともかく、何か目的を持って努力をすると“ワーク"か"レイバー"になってしまうようです。

われわれの「遊び」の哲学は“プレイ"であって、これは目的を持ってはいけないという事です。

仕事を真面目にしすぎると、肩に力が入り、大根役者のようになってしまいます。

小学生が真面目に劇をすると、大根役者のようなセリフを言ってしまう事からも想像できるでしょう。

そして、人生の目的というものは、大まかに言って、自分の配役を真面目にこなすのではなく、楽しむ必要があるのです。

何億年にもわたる仏のシナリオの全体を、われわれ人間が読めるわけがなく、わたしたちはただただ与えられた配役をプレイすればいいのです。

「遊び」の気持でもって人生を送ればいい。

それが 「遊び」の哲学だという事です。
人生を楽しみながら、自分に与えられた配役を笑顔でこなしていきたいですね。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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