10. すみれの花の砂糖づけ
特急ロマンスカーで、もうすぐ箱根湯本駅に着く。そんなタイミングでこれを書き始めたのだから、書き終わるころにはきっと、まったく違うわたしになっている。
新宿駅のホームで「なんだ観光客ばかりじゃないか」とサラリーマンが言っていたが、特急ロマンスカーというのはそういうものだろう、と思った。わたしは物事の認識をころりころりと変えてしまう。タイミングが違えばあのサラリーマンの気持ちに寄り添っただろう。
星の王子さまミュージアムが今月いっぱいで閉館する。一度は訪れてみたい場所だったので、急ぎ休暇を取り、無計画な小旅行を楽しんでいる。高校生の頃に岩波文庫から出版されている文庫を読んでから、それをバイブルのようにしてきたが、わたしには少しばかり窮屈な愛の教えであると、いまとなっては。
行きに読み直すつもりだったのだが、うっかりお家に忘れてきてしまったので、最寄り駅に向かう途中で街の本屋さんに寄ってみた。『星の王子さま』は、出版社によって翻訳家が違う。そこには新潮文庫のものしかなかったので諦め、しかし"本を読めるこころと身体"があることが稀。どうしても1冊手にした状態で箱根湯本へ向かいたかった。
"すんなり"読めるのは村上春樹や江國香織。そうわかってはいるが、このふたりはどうも自分との親和性が高く、不思議だが"すんなり"と"文字でまでは感じたくない鉛のような世界への拒絶"が同時に起こる。テナントビル、公園の公衆トイレぐらいの広さの
うー、山道の連絡バス 酔う 中断
復活
強羅で1泊しようかと思っていたが、雨がひどかったので日帰りにした。
そう、この街の本屋さんはテナントビルにあり、公園の公衆トイレほどの面積しかない。この中から1冊選ぶことの難しさといったら、ここ数年小説を読めた試しもないし。結局江國香織の『すみれの花の砂糖づけ』を買うことにした。詩集だから。
わたしは小説よりも詩が好き。含みや濁し、正直さ、リアル、それらを文字と音とリズムと色で美しいものにするのが詩だと思う。
ほんとうに、ずっと、避けていた江國香織。詩となれば抵抗もなく。ただ"すんなり"と、それだけの感覚で読み終えた。箱根湯本までは持たなかった。たった一文字にさえ愛着が湧くほど江國香織の詩はわたしのようだった。
いつか言われた、「先輩は江國香織みたいです」という言葉を引きずっている。『つめたいよるに』に収録されている『デューク』というお話の主人公とわたしを、江國香織の世界観とわたしの世界観を重ねるひとがいた。そのひととは寒い季節にたった1ヶ月だけ、一緒に暮らした。交際はしなかった。そのひとは、その間毎日のように「一緒にいることが夢みたい」「すべてが映画みたい」「現実じゃないみたい」とこぼしていた。
きみはそんな生活を映画のように楽しんで、笑って、泣いていたね。
はじめて自分の当たり前がずれていると"わかった"頃から言われ慣れている言葉だった。ほとんどのひとからして、わたしの生きてきた世界は現実ではないようだった。それを、いまだに、ひどくさみしく感じる。これをトラウマというのだろう。
だけれど最近、"わかった"ことがある。わたしには、わたしが生きてきた世界とかけ離れた世界(生活)をまったく受け止められないということ。明るいドラマに出てくるような家庭、目の前で犯罪の起こらない環境、そんなもの存在するはずがないしマヤカシ、フィクションでしょう、そんなのって。あるわけないし。そうやって、言ってみたら、わたしは半分苦しくて、もう半分安心してしまうだろう。これは、相手と同じ気持ちではないと思う。
ねぇ、いったい、どんな気持ちなの。
星の王子さま、わたしはもう、時間がこわい。時間なんかじゃ、なにも手に入らないみたい。まるで時間がすべてを手に入れていくみたい。だからあなたの物語をバイブルだと思うのは辞めにする。
星の王子さま、それで、いま、いったいどんな気持ちなの。
このお話は半分フィクションです。