こんにゃくグミYUMPICKができるまで。
初めまして
IshiiMadeOriginalの石井邦彦と申します。
今回こんにゃくグミYUMPICKをなぜ作ったのかを皆さんに聞いてもらいたいと思いnoteに綴ることにしました。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
では、まず自己紹介から。
僕は1987年2月21日に群馬県昭和村というところに生まれました。
昭和村は昔から農業が盛んでコンニャク芋の生産量が全国1位です。僕が生まれた家も代々農家をしており、僕で4代目。そんな地域に長男として生まれ周りは農家だらけ親世代は子供=後継者という考えでした。
子供の頃はなんとも思わず父の手伝いをしたりしていましたが、
何のために?誰のために?
を子供ながらに考えていたような気がします。恐らく両親はそんなことより家族を食わすことで精一杯だったとは思いますが。笑
ターニングポイントその1
初めて僕の感性が磨かれたのは中学2年生。2000年にアメリカのサンフランシスコにホームステイへ行った時のことです。ただただだだっ広い高速道路、ダダっ広い平家にプールにバックヤードが印象的でした。そして、サンフランシスコの街の夜の銃声や鳴り止まないパトカーのサイレンやホームレス達の目は中2の僕にはかなりの衝撃でした。まるで天国と地獄が共存している感じですね。
その後進学した高校では悶々とした日々を過ごします。何がしたいのか?自分には何ができるのか?そんな事を自問自答しながら流れるように短大へ進みます。
何を目指すのか見つからない自分自身にイライラしながら過ごしていた時、一人の先生に出逢います。「石井は多分就職できないな」そんな意味合いの事を言われ、ニュージーランドの地球の歩き方というガイドブックを渡されました。なんの事だかさっぱりわかりませんでしたが、僕の悶々とした日々から抜け出すきっかけを与えてもらいました。そして僕は海外旅行に夢中になります。
カナダへ
2008年カナダにワーキングホリデービザで入り、バンクーバーで学校やバイトをしながら過ごし、夏の終わりに仕事を見つけてバンフという小さい街へ引っ越しました。ホテルのハウスキーパーとして働いていた2009年の初め、ワーキングホリデーのビザが切れそうになったのでワークビザに切り替えようと思っていた矢先、父が網膜剥離になったと連絡がきて帰国を余儀なくされました。
一時帰国し、必要な仕事を手伝ってからまた帰ろう!目の手術が終わり、無事退院した数日後、作業場には父の姿がありました。
「絶対安静にさせてくださいね。」
そう医師から言われていたので何もやらせない。そう決めていたのに勝手に重いものを持ち作業をしている父、、、頼むからやめてくれ。
俺のカナダへの帰国が遠のいたらやだ。
そう思っていた矢先、目に違和感があると父に言われ病院に連れて行ったら、また網膜剥離。「終わった」と思いました。
カナダに帰ってビザの申請をする期間に間に合わなかったのです。
誰に当たっても仕方がないのですが悔しかったです!
父の目が安定してきたタイミングで、荷物の整理や仲間への挨拶など諸々しようと思いもう一度カナダへ。その時は、南米旅行しながら帰ってこようと思い出発します。
カナダでの諸々の用事も済み南米へ向けて準備します。南米へは当初三人で行く予定でしたが、急遽二人に。
その相棒が今の奥さんになるとは想像もしませんでした笑
2010年ペルーで運命の出会い
南米旅行中ペルーのチチカカ湖(海抜3890m琵琶湖の12倍の大きさの湖)に浮かぶトトラ葦でできたウロス島へ観光へ行き、その日はタキーレ島という島にホームステイをしに行きしました。
お世話になったおうちにはお母さんと5歳と3歳の男の子2人が住んでいました。
子供たちは廃タイヤやサンポーニャという笛で遊んでいました。民族といえども見た感じ普通の子供達です。
僕たちも一緒に写真を撮ったりして遊んでいた時、ふと見えた彼らの笑顔に違和感がありました。それは、子供の歯にたくさんの虫歯があったことです。なんでこんな小さい子供たちが虫歯になっているんだろう?その疑問が頭から離れません。食事もとても質素でクスクス入りスープにミントティー、パンもあったかな?
しかし、お菓子はめちゃくちゃ豪華でした。チョコパイやキャンディなどなぜこんなにたくさんあるんだろう?気になってお母さんに聞いてみると、
ママ「あなたたち旅行者が持ってきてくれるお土産なのよ」
僕「子供達は虫歯みたいだけどそれもこれが原因なのかな?」
ママ「私たちは歯磨きを一生しないの。昔は、湖で取れる魚や野草などを食べるだ けだったからよかったけど、今はこんなにお菓子をもらえるから。」
雷に打たれたような衝撃でした。
質素ながら、洋服も着て食事もあって歯磨きだけがすっぽり抜け落ちている…!
この後の南米旅行でも彼ら達のことがずっと心に引っかかったまま約2ヶ月ほど旅をし、ニューヨークへ渡りアメリカを満喫し日本へ帰国しました。
その後も旅行熱が冷めない僕は、次々と計画を立てます。
ヨーロッパ、アジア、東南アジア、ニュージーランドへ、そしてまたカナダへもどり
南米エクアドルの友人に会いにも行きました。
ここで突然に僕の人生転換期その2が訪れます。
ターニングポイントその2
旅行を続けていた僕は2013年にエクアドルに行った際、チンボラソ山6300mへのアタックで5800mまで登った際に落石が続き強風で現地ガイドの気持ちが怯み失敗を余儀なくされました。今までこんな事一度もなくて。。。
この時、なぜか「結婚しよう」と思いました笑
そして2014年11月あの時南米へ一緒に行った人とめでたく結婚いたしました。
結婚もしたし農業ちゃんとやろう!と決断し、2015年群馬県のフロントランナーという実践塾に入塾しました。そこでの学びを生かし実際に現場で取り入れようとするも父とも従業員とも意見が合わず、僕も熱くなるタイプなので一触即発です。よくケンカしました。味方が一人もいないで周り敵だらけ。
そして人間関係で円形脱毛症にもなりました。相当引っ掻き回してたと思います。
そんな中、こんにゃく業界の課題を見つけました。それは、こんにゃくの消費量の減少です。
そして、この時僕はなんのためにこんにゃくを作っているのだろうか?小さい頃の疑問と全く同じ気持ちに狩られました。そういえば周りを見ても美味しいコンニャクってないな。
本当に美味しいこんにゃくを俺は知ってるんだけどこんにゃくってどうやって作るんだ?
こんな感じでこんにゃく作りを親戚のおじさんに教わりに行きました。
当時、こんにゃく作りにハマっていたおじさんは会社の宿直の際必ず作っていたので
何度か足を運び夜な夜な作り方を習いました。
IshiiMadeOriginal
そして2016年念願のこんにゃく加工場を作りました。屋号は石井メイドオリジナル(IMOになるようにものすごく考えました)
こんにゃくを売るためにどうしたらいいか?どんな商品が売れるか?
そんなことを毎日、毎日考えた結果持ち運べるこんにゃくがいいんじゃないか!?と思いたち
小さい味付け玉こんにゃくを作りレトルトパウチに入れヤフオクで2万円で買った滅菌器で滅菌!すると袋が破裂。滅菌やら殺菌やら試作という名の実験を何度も繰り返し何とか初めての商品が完成。その時はこれでイケる!と自信満々でした。
当時売り方や商談などさっぱりな僕には必要な力だと思い入塾していたリカレントセミナー。そこの模擬商談に持って行ったとき講師に「何故これを作っているの?これって誰でも作れません?美味しいこんにゃくがあれば食べてみたいな。」と言われ愕然。このクソジジイと内心めちゃくちゃムカつき、だったら作ってやるよ!とヤンキーみたいな気持ちで向き合いました。とんでもない集中力だったと思います。
しかしそこで完成したのが「どうしてもどうしても食べてもらいたい生芋こんにゃく」でした。
その後もう一度あの時の講師に食べてもらったら、「これお土産で持って帰りたい!」と言われ、よっしゃ!とガッツポーズしましたね。とても嬉しかったし自信がつきました。
少しずつ取引先が増えてきた矢先にコロナが流行し大ダメージ。
商談会にも出始め、取引が増えている中でコロナ蔓延で全く注文が入ってこない。
2020年注文がほぼストップ。毎日事務所のFAXやメールを確認していた覚えがあります。
そんな中連日、テレビでどこにも出歩けない子供達や、家にずっといてストレスを抱えているお母さんなどがニュースで取り上げられているのを聞いて、自宅で簡単に作れるキットを作ろうと思いました。売れても売れなくても困っている人たちが少しでも楽しんでもらおうと作ったらあっという間にテレビで取り上げられ、スマホの注文が鳴り止まない現象が起こりました。
ニーズにマッチするってこれか!と思いました。
お客様は今はスーパーに行かない。EC強化だ!8割業者間取引で2割一般消費者だったのが
この年、年末の割合は7割一般消費者3割業者間取引と180度販売形態を変えてしまいました。
2021年更なる転機!
ペルーの虫歯の子供達に影響を受けていた僕は2021年の補助事業でこんにゃくを使った虫歯予防菓子の開発に着手します。
ずっと、思っていたのがスキットルズという商品。日本で言うとハイチューみたいなものです。これをこんにゃくで作りたいと思っていて実は2018年頃からヒマをみては色々試していました。
ゼリーは水ものなので海外に持っていくには不利だと思い固形物の方がいいだろう。こんにゃくならグミっぽくなれるはずだからグミの作り方を知ろうと思いました。
グミはゼラチンを溶かして果汁を混ぜ、型枠に流し込み乾燥させるスターチモールド製法が主流。これはこんにゃくには全く当てはまりません。1次原料がこんにゃくでたくさんこんにゃくを消費するものでなければ作る意味がない。これは僕が農家とういうバックグラウンドがあるからこその考えです。前例がないからとにかく自分で1から作るしかない!!!
こんにゃくで一番難しい部分は水分をいかに抜く&残すかです。ギリギリまで水分を飛ばしてほどほどに保水もできていないとジャーキーっぽくなるかゼリーっぽくなってカビが発生するか
この辺り実はかなり難しいです。
僕はまずその辺で買えるもの必ず欠品せず使えるものから試します。
スーパーで100%果汁ジュースを買って煮詰める。そして乾燥させる、を時間や温度を変えて何通りもやりましたがどれも失敗です。
何がいけないんだ?答えはどこにある?検索しても作っている人はいない。
頭にあるのは毎日グミのことだけ、家族は飽きてたんじゃないかなと思います。(そうですね。よくわからない試作品を飽きるほど食べました。By家族)
もうやれることはやり切った!そう思った時、知り合いからかむかむこんにゃくというものを紹介していただきました。製造元は車で5分ほどの製造業者さん。すぐ電話してアポ取って根掘り葉掘り聞きましたね。
そこでいくつもヒントをもらい目から鱗の情報だらけですぐ製造開始しました。
その中で、この配合はうちには合わないとか、これはやめようとか石井メイドオリジナル流に組み立て直しました。途中、光沢剤に近いようなものを入れてみたり、香料を入れたりして大手メーカーに近い商品も考えました。お菓子作りは足し算は得意ですが引き算は苦手でミニマムな原料で作ることがどれほど難しいか、一体何キロのこんにゃくを破棄したか 笑
使う原料は3つに絞り、ようやく出来上がったのが「こんにゃくグミYUMPICK」です。
※ここの製作ストーリーはまた別でお話ししたいと思います!
子供達にとって本当に安心安全なおやつは何だろうと考えた時みなさんなら何を想像しますか?
2010年虫歯だらけの子供たちに出会いこんにゃくと向き合い約12年。僕も今では三人の子供の父親になり、子供たちに安全で安心なものを食べてもらいたいと願うようになりました。商品の裏の表示を見てよくわからないものは使いたくない。もちろん虫歯にもしたくない。
この商品にはそんな僕の親心も含まれています。
これからもこの心を持って商品を作っていきたいと思っています。
みなさんの手に取ってもらえますように。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
製作ストーリーもお楽しみに!