私はそういう人間ではありません
「私はそういう人間ではありません」
加藤諦三さんの言葉であるが、私は今、社会の中にいる他人に対してはっきりと言えるかが問われていると感じる。というか、言わなければいけない段階に来ていると感じている。
私はこの数年間、特に1年間、自分の性格や特性について学び、認識してきた。内向型であったりINFJであったり、学びは大きいものであった。
しかし、私はこの学びを生活に活かせているのだろうか?と疑問に思う。
似た性格の人とあるあるを共有する。そういうことはしているが、いざ社会に出ると自分の性格なんか忘れて目の前の楽しさや義務感ばかりにとらわれて、自分に合った生活ができているかといえば、怪しい。
その結果、生きづらさを感じているが、振り返ることもないまま(あるいは振り返る暇もないまま)、また社会で踊らされている気がする。
外向型だらけの社会
正直言って、世の中は外向型だらけだと思う。というか、それが不正確だとしても、そう思い込んで、自分と自分の周りにいる人が違う価値観の人々であることを自分自身に認識させたほうがもいと思う。
まだ実家を出てなかった頃は、大学生ということもあり、多少外でアクティブに活動しても自分の時間は簡単に作れた。また、家事は親がやってくれた、少なくとも責任を持つ必要はなかったので、エネルギーを外で放電しっぱなしでも大きな問題にならなかったのだ。
就職と同時にひとり暮らしを始めた。ひとり暮らしでは当然、自分の部屋をきれいに管理し、ものの量を調節するなどの作業を責任もってやる必要がある。その作業自体は自分が何者であるか振り返る作業でもあり、内向型の私にとっては有意義なものだ。
就職したての頃は、一人の時間がかなりあり、自分の家と体、心を整えることができた。人と会う頻度も丁度よく、社会人になったら自由が増えるもんだなと思った。しかし、それはコロナ禍の最中であったからということに気づいたのは最近だ。
ここ1年ぐらい、休日の誘いが一気に増えた。どれも魅力的な誘いで、行きたい、もしくは行かなければという気持ちに駆り立てられる。(歳を取るとネガティブな予定も増えてくるが、ここではその話は割愛する)誘いだけならいいのだが、中には勝手に予定を放り込んで、「どうしても難しいならキャンセルして!」ということをしてくる人たちもいる。あと、断りをサラリと返してまたしつこく誘ってくる人も中にはいる(これは滅多にいないけど本当にやめてほしい)。
恐らく、コロナ禍が空け、職場の人や卒業した学校の人が会おう会おう、というムーブメントを始めたのだろうか。それにしても多い。世の中って外向人間がこんなに多いんだな……って愕然としてしまう。
もちろんみんな社会人だ。つまり、休みの日は毎日深夜まで遊んで、平日は何事もなかったかのように仕事する人たちが沢山いるということだ。
私がそんなことをしてしまったら、心が壊れてしまう。
私は内向型だ。内向型の特性はそんなに理解し難くない。
人と会うと幸せを感じる(他の内向型の人だと違う人もいるかもしれない)が、エネルギーを消費する。なくなったエネルギーを充電するには一人の、自分の時間が必要だ。放電→充電のサイクルを繰り返せば良く、シンプルだ。
仕事は作業内容にもよるが、自分でコントロールしづらい分野なので基本的に放電作業と思ったほうが良いだろう。そうすると休日に必要なのは、充電だ。一人の時間だ。
毎週、一人の時間を取れば良い。やることは明快だ。
ところが、世の中の人はそうでない。一人の時間が無いか、かなり少ない。人と会えば会うほど元気になる人が結構いる。
そんな人たちから同調圧力を受けてしまったら、はっきり言って危険だ。放電と充電のサイクルが崩れると、私の心はあっさりと崩壊する。
自分を守るために
彼らから、自分を守らなければならない。
彼らは甘い誘惑を仕掛けてくる。なのであまり考えずに生きていると、誘惑に簡単にハマってしまう。また、なぜか社会で重宝される「ノリ」という概念。私の心を破壊するひどい概念だ。「ノリ」というものは自分の意思を全放棄して集団の価値観がすべてですと言っているようなものだ。話が通じる内向型だらけのグループならよいのだが、「ノリ」が問題になるのは外向型の人間に囲まれているときだ。
絶対に自分の時間、一人の時間を確保しようとおもった。
まずは予定を入れない時間をつくること。
人と物理的に一緒に時間でも、自分がコントロールできる時間をふやすこと。
自分でルールを作ろうと思う。
自分が作ったルールに縛られるのは好きではないが、自分を守るためのルールの必要性を感じている。
内向型を貫く
INFJの四要素の中で、私にとって一番生きづらさの要因を作り出しているのは内向だと思う。それは、INFJの気質が自分を無理やり外向の型にねじ込もうとしているのも要因だ。
だから、自分は内向型である、それも強めの内向であると認識し、外向型の「ノリ」に流されそうになっても、「私はそのような人間ではありません」と主張することが大事なのだ。
内向型を貫くことは、容易ではないと思う。正直、周りに流されたほうが楽だとおもう。しかし、「自分に合う人生」と「楽な人生」を混同してはいけない。少し平坦でない道でも、間違っていそうな道でも、自分に合った生き方をするには必要なのだ。