生み出していきたい。発信していきたい。
動画を見る、アニメを見る、旅行する、スポーツする。
私はそれだけじゃ満足できない。
いわゆる消費型の趣味だけじゃ。
劣等感もあるのかもしれない。
同級生が全国的なコンテストで優勝した。兄弟が発表会で輝いている。
自分も、何者かになりたいという気持ちが強いのかもしれない。
本当に劣等感だけなら、辞めたほうがいいのだろう。
でも、本当に劣等感なのだろうか?
かつて私は地元の鉄道が好きで、鉄道にズブズブとぬめりこんでいた。
その鉄道のことならだれよりも詳しい自信があった。
地元のサッカークラブを応援した。
誰よりもスタジアムに足を運んでいる自信があった。
だが、SNSを始めるようになると、自分よりすごい人がいくらでもいる。
自分は、何をしていたんだろうと感じた。
就職や転居があり、どうあがいても一番になれなくなった。
一番を妥協したとしても、特別感のある人にすらなれなかった。
何のとりえもない癖に、多くの人が当たり前にやっていることが出来ない自分。
人と比べるのはきりがないことは知っていた。
でも、人と比べようとしなくても、劣等感が半端なかった。
どうしても、消費する人間では終わりたくなかった。
何かを生み出す人でありたかった。
それはなぜか?
恐らく、これからの自分の生き様をすべて見てくれて、将来の人に伝えてくれる人がすでにいるなら、あまりこのようなことを考えなかったのかもしれない。
でも私は、遠い将来、この世を去ったときに、社会から消えてなくなるかもしれない。
誰にも認知されずに、忘れさられて終わるかもしれない。
そんな不安がした。
写真を撮ったり、絵を描いたり、旅行記を残したり。
一番になるのは難しくても、誰かより得意になるのが意外に難しくない。ちょっと文章に残したり、発信するだけならもっと難しくない。
心理学の勉強も面白い。語れるうえに、人のためになるかもしれない。
そうやって、何かを生むことが自分の生きた証になることを望んでいるのかもしれない。
「何もできなくてもいいじゃないか」という言葉は励ましに聞こえて、自然の流れに逆らって何かを生み出そうとする自分を否定するように聞こえる。
私は、自分のやっていることを肯定していい。
明日からも、いっぱい作っていこう。
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