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お願いだからやりたいことをやってくれ、私よ。
最近、知人の結婚報告をよく聞く。
それを追っかけるがごとく、周りの人も相手を見つけ、結婚していく。
どんな魔法を使ったのだろうか。どんなひみつ道具をつかったら、そうなるのか。
というか、なんでそんな同調するんだ。
そう思っているうちに。だんだん、天からの声が近づいてくる。
「あなたも、そろそろ」
時の神だろうか。透き通って刺さる声。何かを言ってくる。でも明確に「結婚して親になれ」とは言ってこない。
コイツは世間を味方にし、「普通になれ」と言っているのだ。
いい年までに家庭を築くために、自分の欲望を捨て、恋愛するか婚活などで効率的にパートナーを見つけるかしなさい、と。
そのためなら自分のやりたいことは捨てなさい、と。
黙っていると、だってそうでしょ、あなた子供欲しいんでしょ?絶対にいらないわけじゃないんでしょ?と言われる。
本当はパパになりたいんでしょ?と。
正論だ。ぐうの音も出ない。だが、私はパパになる覚悟は全くなかった。夫になる覚悟すらない。「彼氏」すらあやしい。
覚悟はなってから身に着けるものだって?正論だ。ぐうの音も出ない。
だが、納得いかない。
私は、やりたいことはもっとある。
休みの日に、少しずつ思い出してきたのだ。
社会で働き続けると、どうしても忘れてしまう。
子供のころ、学生の頃、やりたいと思ったこと。
将来の夢だった職業。面白いと思った学問。没頭した趣味。一度挑戦したきりやっていないこと。特技だと思ったのにいつの間にか辞めてしまったもの。
叶えられていますか?目標には届かなかったとしても、触れられていますか?
当時好きなものを今でも好きと言えますか?恥ずかしがらずにできますか?
本当は、やりたいことをやっていいのだ。
今はネットがあるし、noteで好きなことを披露すれば人が集まってくるかもしれない。それでコミュニティができるかもしれない。
もっと、自分の特技を見つけ、価値を高められるはず。
もっと、やりたいことが見つかるはず。
自分を尊敬してくれる人が、現れるかもしれない。
組織の閉鎖的なコミュニティで暮らし、長時間付き合わされる中で、思考は固まり、周りに同調し、自分の良いものをすりつぶされる。職場だけじゃない。SNSなども、ものによっては多数派の価値観しか流れてこない。普通でいることを強いられ、やがて周りと同じ時期に、同じことをする以外の選択肢がなくなってしまう。
お願いだから信じでくれ、私よ。
やりたいことをやれず、人生を楽しめなかった奴が、尊敬されるパパになれると思うか?
周りに流されず、やりたいことをやってくれないか?
心の叫びだ、信じてくれ。
そして、時の神よ。もう少し、時間をくれ。決して「今じゃない」と先伸ばしにしているわけじゃないのだ。
幸せは、絶対に手に入れて見せるから。