見出し画像

理想と現実のギャップに悩む

映画『JOKER』を観た。劇中の、「狂っているのは僕か、世間か」というフレーズ。「Is it just me, or is it getting crazier out there?」と言っていたらしい。心に残った。

心に残る、でもとてもハードな映画鑑賞体験になった。この映画は統合失調症的世界をはっきりと世界に表した作品なのではないか。私は「統合失調感情障害」という病気を患っていて、妄想の経験もある。常々妄想しているわけじゃなく、一時的にそういう経験をしたことがある。
そういう私から見ると、ジョーカーの描写は、どこまでが妄想で、どこまでが現実か分からない。私は、大部分が彼の妄想なのではと感じた。
"健康な"人にはシンプルに楽しめるかもしれないけど、私のようなものにはなんだか怖かった。言い当てられているようで。すごい映画でした。本当に。すごかった。また続編を観たら感じ方が変わるかもしれないです。

話は変わり、『JOKER』を観た後にこの記事を読んだ。たまたま映画について検索していて辿り着いた。

安冨さんの言う「ポケモン」とはまさに最近私が持っている違和感を表したものかもしれない。(ポケモンについては記事を読んでいただくといいと思います。短いですので)
noteでいろんなことに興味や疑問、問題意識を持っている私とは違い、仕事の私は非常に淡々と言われたことをこなしている存在(社会に適応した存在=ポケモン)だ。仕事のモチベーションは、二つ。同僚の助けになっていることとお給料がもらえること(子供の養育費もあるから給料は大事)。

金融の仕事自体の社会的意義とかそう言うものはあまり考えないようにしている。ただ仕事をこなすことでお金を稼げるから、生活ができるし、好きなものがある程度は買える。仕事をしている私は社会に(なんとか)適応しているのだ。でも本当は、社会的な弱者(きっと私もそうなんだと思うけれど…)を助けるような仕事がしたいと思っている。例えば弁護士にはなれないけど、それをサポートする等。これはこの前友人と話していた。

さて、現代社会を生きるためにいろいろなことに疑問を持つことは必要なのだろうか?もちろん多少は必要だと思う。では「豊かな感受性」は必要なのだろうか。むしろ、社会生活においては「感受性を殺して生きること」が必要とされてないか・・・?言われないけど、実は奨励されてないか?
そう思うことが増えた。なんだかとても怖い。こういう疑問は、きっと本当なんだけど、私みたいなよわよわ人間は持ったらいけない気がするのだ。
離婚した時もそうだったのだと思うけど、そのころ、"自分を押し殺して、結婚生活に馴染もうとしている"のが、とても嫌になっていた。かつては好きだったけど、今は全然好きでない人と、つつがなく子供を育てていくためだけに一緒にいる。そういうのがとても嫌になった時期だった。いろんなことが理想とのギャップで嫌になってしまって、仕事も辞めようと真剣に考えていた。
(それで離婚を言い出したのは私なんだけど、その後に病気を発症してしまって、結局見捨てられたのも私だった。残念。)

って少し話がずれたけど、なんか私が我慢できなくなる時ってあまり良くないのだ。多分ストレスが溜まっているとかそんな感じ。
文章を書くことで、現実と自分のギャップが大きいことが分かる。
noteには読んでくださる人がいるから嬉しいし、自分は文章を書くことが好きだから書くことはやめないけど、なんだろう、この理想と現実のギャップから生じるストレス。結構辛いぞ。どうしたらいいんだろう。困りました。まあ、とりあえず心理士さんに相談かな…。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?