ガストのハンバーグをほおばりながら、食の安全を熱弁していた男

これはただの私の昔の日記である。

その昔、私がまだ環境問題に興味を持っていた20年前、20代の頃であった。

ある男、名前をAさんとするが、Aさんと出会ったのは、代々木公園で開かれたアースデイであった。アースデイとは年に1度行われる環境問題のフェスである。

私とAさんの地元は同じで、東京から高速を使っても3時間ぐらいかかる田舎である。こんな都会で、その遠い地元を共通に持つ私たちは、アースデイでの偶然の出会いに興奮し、意気投合した。

当時の私は、今のようにひねくれてはおらず、まだまだピュアであった。それで環境問題のイベントであるアースデイに馳せ参じていたのだ。

Aさんは、地元に住んでおり、環境問題に関する活動を行っていた。ちょうど私も当時、地元に帰郷しており、実家に住んでいた。そういうこともあってAさんの知り合いという、地元で有機農業を営む農場主、Oさんを紹介されたのだった。

Oさんは大地主でもありオーガニック界ではちょっと知れた存在であった。人脈も豊富だったので、Oさん経由で、さらにいろいろな環境問題に興味があると言う人々と知り合うことになった。その人脈たるや、割とステータスの高い人が多くて、社会活動家や政治家、医師など権威のある方が多かった。Oさんの話はとても面白く、よくOさんを囲んでの飲み会が行われていた。その話を聞くうちに、私は「Oさんスゲェ!」と思って、大さんの有機農場でアルバイトをさせていただくことになった。

ちなみに、当時の自分の状況は、新卒で入った会社を辞めてドイツに1年間ホームステイをして帰国していたばかりだった。ドイツに興味があったのはドイツの近代デザインが好きだったというのもあるが、環境問題先進国だからというのもあった。さらに、ホームステイしてた家がまた、オーガニック系の家だったため、さらに私のオーガニック思想は加速し、AさんやOさん仲間からは、すんなりと受け入れてもらえた。

ただ、その輪に冷たい目線を送っている1人の人物がいた。
Dさんと言う男性だった。DさんはOさんの有機農場の事務局長であったが、オーガニック思想で毒されていなかったため、オーガニック思想でふわふわし、危機に落ち入りそうな農場の経営を、きちんと軌道修正し、売り上げを上げている陰の実力者だった。

というのも、じつは、農場主のOさんは会社の金を自由に使い好き勝手やっていたのだ。オーガニックな話のセンスはあったのだが、経営センスがなかったため、何度も農場を危機にさせていた。

Oさんは自分の原点は農家で、農家こそが地球を救うと熱弁していたのだが、実際には現場には全く入らずに、ぶらぶらしたり、暇になると、誰かを呼び寄せてオーガニック思想で説教したりするだけの毎日であった。

そんなOさんも夕方になると動き出して、草刈りを始めるのだが、その理由は「動くとビールが美味しく飲めるから」という理由からであった。と、事務局長のDさんは私にこそっと教えてくれた。

ちなみに、それでも私はまだ環境問題に洗脳されていたお花畑野郎だったので、Dさんに立てついてドイツで知りえたオーガニック思想で反論したりもしていたが、事務局長のDさんは、常に「環境を変えたかったら、目の前のゴミを1つ拾ってから言え」と常に言っていた。Dさんのこの思想は、今も私の哲学の1つである。

話はAさんに戻るが、Aさんは「地球村」と言う環境団体に入っていた。なので、地元近隣に住む地球村の会員の方も紹介された。

Aさんの地球村友達は、農場主のOさんの人脈とは違い、至って普通の人が多かった。地元の小さな商店の2代目とか、介護職や専業主婦、退職された人などであった。

彼らの紹介で、私は一度、地球村の会合に行くことになった。

池袋だっただろうか、会場は大きなホールで、こんなにも会員の人がいるのかと言うほど人で溢れていた。みんな一見普通の人に見えたが、環境問題に興味がある人なのであろう。ホール内を歩いていた会員の1人が大きな声で言った。「お〜痛い!! みんな携帯の電源切らないから、電波で頭が割れそうだわ!」
会場が、一瞬シーンとなった。

地球村長の人がスピーチを始めた。眼鏡をかけたちょっと若作りのおじさんかなぁと言う印象だが、朗らかな男性で話は面白かった。今でも覚えているのだが、「昔は賞味期限などは気にせず、飲んでみてダメだったらそれが賞味期限だと判断していた」と言う話をしていた。「今の人は、賞味期限を気にしすぎる」みたいな話だった。

その後は地球村の関係者かなんだかよくわからないが、「てんつくマン」と言う環境活動家のイベントに行くことになった。元お笑い芸人だそうで、スーパーヒーローのような格好をして、環境問題の大切さを訴えていた。

今度その人が日本の全世帯に号外の新聞を配るので、みんなにも手伝って欲しいと呼びかけていた。私は絶対嫌だと心を持っていたのだが、Aさん関係の地元地球村グループに片足を突っ込んでしまった以上、うまく断ることができず、仕方なく早朝に自転車をこいで、号外新聞をポスティングしたことがあった。苦い思い出である。

ちなみに、先述した事務局長のDさんからは、「環境を大切に思うんだったら、まず新聞を刷るな」と言われた。ごもっともである。

あと、その地元地球村グループから、「キャンドルナイト」のお誘いも受けたことがあった。ちなみに、「キャンドルナイト」と言うのは、「夏至の日に、電気を消して、キャンドルの光で夜を過ごそう! そしてみんなで集まって地球の未来の話をしよう!」と言うような趣旨のイベントである。

一見キラキラして楽しそうではあるが、誘われたそのイベント会場が車で1時間ほど走らなければいけない場所で、内心というか本心でめちゃくちゃ面倒だなと思っていた。

なので、私は、「1時間車を走らせるとかなりの二酸化炭素が出ると思うので、今回は遠慮しときます」とメールをした。すると、グループの1人から返信が来て「キャンドルナイトの趣旨はそこではなくて、みんなで集まって話すことだからぜひ来てほしい」と言われた。結局いかなかったのだが、その話を事務局長のDさんにしたところ大笑いしていた。

また、その地元地球村グループの1人におそらく60代位のPさんと言う女性がいて、その人はミキプルーンの販売員であったのだが、ストレスでミキプルーンを食べ過ぎて太ったと言っていた。ミキプルーンがそういう販売のされ方をしていたと言うのはそこで初めて知った。

また、別の地球村会員のYさんは私と1番歳の近い女性だったのだが、その人の結婚式の司会をなぜか私がすることになった。なぜ出会ったばかりの私に頼んだのだろうと言うのは、今も最大の謎である。

そんな中、Oさんの農場で、食の安全に関する映画上映会をしようと言う話になった。大さんの農場はとても広いので、人を集めて、上映会をするようなホールもあったのだ。

残念ながら私は事務方に回ってしまったので、映画を見ることができなかったのだが、なんとなくパッケージからどんな内容なのかなぁと言うのは推測することができた。

上映後、理由は忘れたが、私はAさんとガストで食事をすることになった。

上映会を通して食の安全について話をするためだった。

食の安全について話すのに、なぜガストなのだろうと思う人もいるかもしれないが、当時の田舎には、オーガニックカフェのようなものは存在せず、話す場所と言ったら、ファミレスぐらいしかなかったのだ。(今考えれば、喫茶店でもよかったのかなあとは思ったが)

私は既にその時には事務局長のDさんのおかげで、環境問題の洗脳からは覚めていたのだが、地元の田舎に住んでいたため暇だったので、Aさんの話に付き合うことにした。

環境問題の洗脳からほとんど覚めていたとはいえ、まだ若干の問題意識が残っていたので、ガストに集合してはみたものの、動物性のものは微妙に食べたくないなぁと思っていて、私はうどんを頼むことにした。ところがAさんは普通にハンバーグステーキを頼んでいた。

Aさんはハンバーグステーキをほおばりながら「日本の食は危険に侵されている!!本当に危険だ!!」と、熱弁をしていた。その姿を見て、私の環境問題熱はさらに覚めることになった。

そんなこんなで時は過ぎ、Oさんの農場で1年ぐらい過ごした後、まともに働こうと上京することにした。

私はAさんから呼び出され、またガストに集合することになった。

Aさんも私との別れを惜しんでくれるんだなぁと思ってガストに行った。なんだかんだでお世話にはなったし、きちんとお礼はしなきゃなぁと思って席に着いた。

するとAさんは私にがんに効くと言うサプリの話をしだしたのだった。Aさんは、マルチもやっていたのだった。

私はやんわりとサプリはちょっといらない旨の断りを伝えた。

すると若干Aさんは怒り気味になり、そこで私とAさんの関係は終わった。


あれから20年。

私のインスタ上では、知り合いのママさんが、食の安全についての映画上映会をおこなっている。ママさんのストーリーでは、映画上映会の告知が毎日のように行われ、先日は、上映会が行われた後と思える、キラキラ輝くママたちの集合写真がトーリーで流れていた。

私はそれを眺めながら、ふとAさんのことを思い出していた。

いいなと思ったら応援しよう!