「メタ成功体験」について

成功体験、という言葉には妙な迫力があります。どういう根拠があるのか、はっきり示すことは難しいはずなのですが、誰もがその重要性を信じているように見えます。典型的な用法としてはざっくり以下の3つがあると思われます。

  1. 育成や支援の対象を勢いづけるため、「成功体験を積ませたい」

  2. イノベーションのジレンマのような文脈での、「過去の成功体験に囚われている」

  3. 自己のキャリアを振り返る、「あの時の成功体験が自分の中では大きいですね」

多分、元々は3.のような使われ方を想定された語彙なのだと思いますが、応用として1.や2.の形で使われる事の方が今では多いのではないでしょうか。そして、これらの用法と3.には、大きな違いがあります。それは、他人について使われていて、その他人を(少なくとも発話者にとって)良い方向に持って行こうとする文脈の中で使われている、ということです。

他人をコントロールしようとする言葉、と言ってしまうと印象が一気に悪くなりますが、この「成功体験」という一見ただポジティブなだけに見える言葉に、善意であれ利己的な動機であれ、背後に他人への働きかけの意識があるということは留意しておいても良いのではないかと思います。

成功体験を与えた、という成功体験を得たい

前回の柔軟さについての記事に絡めて、友人といかに部下など年少の人達とポジティブな関係を構築するかについて話をする中で、改めて「成功体験」の重要性を感じたのですが、実際にやってみようとするとなかなか難しそうです。以下、仕事上で経験が浅い人を育成指導する、という場面を前提に考えていきます。(厳密には経験と年齢は別ものですが、単純化するために年長者年少者という表現を採用します)

家父長制的な世界観の中で、上位者であることが保証された年長者として、その時点での能力においては劣っているという前提がある年少者に仕事をやってみさせる、という形式であれば、問題はただ程良いハードルの課題を切り出して与えるということだけです。(それはそれで領域によっては難しい場合も多そうですが)

しかし、現代の就労環境や価値観においては、事情が変わります。それこそ前回の記事のように柔軟さを示して信頼を勝ち得ない限りはコミュニケーションの質は低下しますし、何より必ずしも年少者の方がスキルが低いという前提も通用しないケースがままあります。

指導的な年長者の立ち場からは(あるいは、指導そのものを目的としなくとも、両者を包含したチーム・組織の成果の最大化しようとするのであれば)個人同士の関係としての敬意を示すことと、年少者に成功体験を積んでもらうことを両立する必要があるわけです。ちょっと考えただけでも私にはこれは大変な難事に思えるのですが、どうにかうまく成し遂げたい。

上から目線、のコントロール

どのような難事であるのか、改めて言い換えてみます。要するに、①相手のアイディアや発言に応じてこちらが意見を変えることがあり得る、ということを伝えることで「柔軟さ」を認識してもらう、②こちらが良かれと思ってデザインしたハードルを、自発的に超えてもらう、の相性がよく無さそうな2つの目標を同時に超える必要があるということです。

②にただよう「上から目線」感が相手に露呈してしまうと、①で培おうとした信頼は台無しですし、何よりハードルを超えたとしてもそれが自発的とは言えなくなってしまいます。しかし、この「上から目線」というのは、中々に取り扱いが難しい概念です。受け手がそう感じてしまえばアウト、という側面もありますし、逆に相手が気にしてないようなことまで忖度しようとして身動きがとれなくなるケースもままあります。特に、前回や今回の記事のように中高年の立ち場から若者を見る場合、礼儀正しくあろうとしたり器の小ささを取り繕うとしたりする意図もあって、彼らを全面的に肯定するような言説に走ってしまうリスクもあります。(Z世代はこう考える! だから我々も意識をアップデートせねば! みたいな安直な奴です)

バランスが大事、という言いまわしは何処でも通用してしまうので実質的な意味がないためなるべく避けたいのですが、ここは頼らざるを得ません。上から目線にならないように、少なくともそう誤解されることによってお互いが不幸にならないように気をつける必要があります。お互い様ではあるのですが、コミュニケーションの問題はより上位者に責があると見なすべきだと思いますので、我々中高年はこの意味でも日々追い詰められていくさだめにあります。

結局できることは限られている

では具体的にどうすれば良いのか。これについては、グダグダと言い訳めいた話を続けてしまいましたが、我々が「上から目線になってしまうリスクを飲み込んで」、権限委譲や成功体験への誘導をひたすら繰り返していくしかないのではないかと思います。ここで書いたことは、そのリスクがあることの指摘に過ぎません。リスクの存在を意識することによって、問題を回避できる可能性もあるはずですので。

そのためにも、その成功体験が欲しいんですよね……

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