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常識をやわらかく
常識ってなんでしょう? あらためて考えたことはありますか?
常識は、時代や地域、またそれぞれのグループでも違うもの。だったりしますよね。昔のやり方が今には当てはまらなかったり、同じ日本の中でも地域が違うとお雑煮の食べ方が違ったり。国が違えば、驚くこともたくさんです。
だから私は、自分の常識がいつでもどこでも通じるもので、それを「当たり前」に思ってはいけない。と思っています。
今はこんな風に言っているけれど、昔は、自分の常識を、夫や子供たちに無意識のうちに当てはめようとしていました。悪気はなかったけれど、そのために、衝突したし、苦しみました。
そんな経験や、心の勉強を通じて、今は、常識や価値観、当たり前、というものは、やわらかく捉えたい、と思うようになりました。
もちろん、自分が良いと思うものを持っていることは良いことだと思います。それが、その人を作っているし、その人らしさでもあるから。
でも、それによって、自分をも苦しめることがあることも経験しました。
「こうすることが当たり前」「こうでなくちゃ」と思えば思うほど、そうならない、そうではない自分を責め始める。
本当にそうでなくてはいけないんだろうか?
それって、万人に当てはまること?
本当に自分が良いと思ってやっている?
誰かに言われたからじゃない?
そんな視点を持ち始めてから、ずいぶんと生きやすくなりました。
ある辞書には、「常識」の意味は、こんな風に載っていました。
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」
[補説]common senseの訳語として明治時代から普及。
この「一般の」っていうのが、時代や地域で違うものなんですよね。
「常識」と共通認識としてある方が、やりやすい場面もあるとは思うけれど、「常識」ということに囚われすぎず、やわらかさを持って生きていきたいです。