「疲れた」と言えなかった私と言える娘。
皆さんは疲れた時に、
「疲れたー‼︎」と言っていますでしょうか?
この間、初めて4歳の長女が
体験のダンス教室に行きまして、
そのときの娘の発言から、
「疲れた」と言うことについて
考えてみましたので書いてみようと思います。
疲れたと自分で先生に言える娘
娘は年少さんになる少し前から
半年間入院してまして、
すっかり習い事の波に乗り遅れた感があり、
ようやく4歳にして初めて
習い事選びを始めています。
娘は家でダンスよくしているので、
安易ですがダンス教室いいかなー✨と思い、
少人数制のダンス教室に
体験レッスンを受けにいきました。
すでに習っているお友達が何人かいて、
体験の子は娘1人、大体1時間位のレッスン。
40分か45分ぐらいたった頃に、
途中で娘が
「先生、私はもう疲れたのでおしまいにする」
みたいな趣旨のことを言っていて、
近くで見学してた方が、
「あの子、疲れたって自分で言ってる!」
と言っていました。
「そうか、疲れたって自分から先生に
言うことって当たり前ではないのかも。」
とそのときに思ったと同時に、
私はなかなか言えなかったなーということも
思い出しました。
疲れたと言えることについて考えてみた
自分が今どういう状況で、
これ以上やったらどうなるのか
ということを予測して
もう疲れたからお休みしたい、
と口に出して伝えられると言うのは
結構大事なスキルなんじゃないかな
と思うんですよね。
なぜかと言うと、
・自分の現在の状況
(娘の場合:初めてのダンスで疲れてきた)
を把握して、
・このまま続けていたら自分がどうなるか
(娘の場合:もう疲れて動けなるかもしれない)
を予測して、
それを回避するための行動
(娘の場合:先生に自分で伝える)
を選択するスキル
だからだと私は思っています。
・・・・・これ、
私たち大人も同じだと思うです。
疲れていることを認められなかったワーママ初期
私がワーママ初期時代(今もまだ4年目ですが)、
疲れてても疲れたと言えなくて、
「疲れたと言葉に出したら負け。」
ぐらいないかにも体育会系、
根性論丸出しな感じでした(笑)
でも実際疲れてはいたし、
常に旦那さんにイライラを持っていたけど、
それを認めないことを選んでいて。
でも疲れたと
別に他人に言わなかったとしても、
〈疲れている〉と自覚して、
〈これを続けていたらどうなるか〉を予想し、
〈自分の負担を減らす〉という選択を
とればよかった!と今は思うのです。
旦那さんと家事を分担するとか、
ごはんの手作りの回数を減らすとか、
宅配にして買い出し時間をカットするとか。
↑
これは実際2人目育休を経て
私が導入していることで、
色々減らす選択をしていたことで
まぁ1人→2人に子供が増えたので
全く疲れないかというと嘘になりますが、
少なくとも精神的な疲れたり、
あの時のようなイライラはありません。
自分の状況を認めることが先につながる
疲れていることは
別に悪いことでも負けでもなく、
〈疲れている〉ことを認めたら、
未来を予測して、
そのための対応策を取ることができるんです。
それに気づいてからは、
体育会的な根性論が出そうな時も、
一旦その日々が続く未来のことを考えて
対応策を考えるようにしています。
ということで、
娘のダンス教室での一言から、
自分の疲れたを認められなかった時代の
のことを思い出して書いてみました。
どなたかの参考になれば幸いです☺️