飲食業と景気・後編 (第11話)
【前回の記事】
経営者になってみて景気と経営が密接な関係であることを身をもって体験できた。私がお店を開業したのは2014年3月で、日本経済の視点で見るとアベノミクスが前年に発表されて景気が回復し始めた頃であり、ラッキーなタイミングだった。
そして後編ではもっと小さな地域の経済について書いていく。
【神田スクエア】
2020年、神田スクエアという複合商業ビルが開業した。地上21階建てでスタイリッシュな外観、きっと中の施設も充実しているらしい。
このビルが立った場所には、2012年まで電機大学があった。私がお店の場所の内見をした13年にはすでに電大跡地と呼ばれていて、大学の建物はなくなっていた。大学があった頃はどんな風景だったんだろう。
12年に電機大学が無くなり20年に新しく神田スクエアができたわけだが、この開発事業に伴って周りの環境も変化していった。大学が無くなり辺りは学生がぐんと少なくなった。その事で学生向けのサービスを提供していた飲食店は徐々に潰れていった。加えて小規模オフィスビルの開発も多く進み、益々昼間人口は減っていき商売をするには厳しい谷底の期間が数年間起こった。やがて少しずつビルが建ってくるにつれて昼間人口は戻っていき、地域も活気を取り戻していった。
大学があった時と比べ、この辺りではレストランのサービスや単価、営業時間に変化があった。その様子を電機大学が無くなった2年後から見てきて、感じた事をまとめる。
・開業当時
プライベートで知り合った方とお話をしていて、お店はどこでやっているの?と聞かれたりする。場所の説明をしていると、かなり多くの方から「電機大学の所?」と尋ね返された。その事からこの界隈では電気大学がシンボルマークだったのだと知る事ができた。
まだここに大学があった頃、この辺りには学生さん向けのお店が沢山あったそうだ。一口に飲食店と言ってもどこで利益を上がるかは様々で、ここで私が言いたい学生さん向けのお店というのは安くてボリュームがある食べ物をメインで出す店だ。営業時間は昼時と夕飯時で、深夜営業はしないような、例えるなら大戸屋的なスタイルを指す。ランチなら600円〜800円、夜でも1000円程、単価は低く設定して沢山のお客さんを迎えるお店だ。
だが大学が移転してしまい学生さんが一気に居なくなり、このようなお店は潰れていった。電機大学が移転した2年後に私が開業するわけだが、この時が最も古い飲食店が潰れる時期だった。
・商業人口が谷底の時間
なぜこの時期に飲食店が少なくなっていったのかというと、2000年以降は地域として再開発が盛んで神田スクエアに限らずあちこちでビルの建築や解体の工事が行われていた。ビルが取り壊しになればそこで働く人も減る。この界隈の昼間人口は徐々に減っていった。長くお店をされている女将さんは、昔は人がいっぱいいたのよ〜と話してくれた。人が減れば時間差で飲食店も減っていく。再開発地域にはこの様な経済の谷底は必ずできてしまうし、それは数年間に及ぶ。
気がつけば私はその谷底でお店を始めてしまったという事だ。だが店の前の通りの雰囲気が暗く人通りが少ないということを実感したのは、後々人手が戻ってきてからのことだったが…。
ただ将来的に商業人口が増える算段があれば、地域経済が谷底の時にお店を開業する利点はある。テナントに借り手が付きにくい時期なので家賃が安かったりする。
例えば私が借りた場所は靖国通りの一本裏の辺りだったが、家賃相場は路面店で坪単価で2〜3万円だった。一方で靖国通りにあるとなると坪単価は5万円もするらしい。およそ倍…徒歩1分と離れてないがこの差があるのは、裏手で且つ商業人口が底の時期だったからこその値段だった。
そしてこの時期に古くから営業されていた飲食店が潰れ、私のような若手で飲食叩き上げのオーナーが経営する店が入れ替わるように出来ていった。食べ物だけではなく、お酒にもこだわったお店になっていき、客単価が上がった。そして営業時間が伸びていった。
【1、2年後】
これは私の体感ではあるが、10階建くらいのビルであれば解体作業から完成まで早ければ1年半くらいで工事が終わる。
お店を開業してから、大小新しいビルが次々に完成していった。徒歩10分圏内のエリアで、半年に一棟くらいのペースだった。
・サラリーマン向けの店舗とは
オフィスビルが建つにつれて、地域にサラリーマンが戻って昼間人口は徐々に増えていった。
私のお店の夜の営業時間は17時〜24時だった。24時で閉店するお店は終電で帰るお客様への意図だが、開業当初は遅くまでやってるんだね〜とよく言われた。この辺りで昔からやってるお店さんは22時閉店のお店が多かったので、24時までやってると言うと少し驚かれた。つまり2軒目使いできるスタイルのお店がほとんどなかったのだ。朝までやってるお店は当時の時点では、authenticなバーが2軒だけ。地域として、深夜までお酒を飲む方の囲い込みを全くしておらず、随分と取りこぼしがあった。
だが、学生向けの営業スタイルからサラリーマン向けの営業スタイルに変化していき、深夜営業する飲食店が増えていった。
私はがお店を出して間も無くこんな素敵なお店がどんどん出来ていった。これらのお店は当時から仲良く、飲みにいったり来てくれたり…交流のあった私の大好きなお店だ。今でも人気店。どのお店のオーナーも30代か40代のバリバリ飲食畑育ちだ。
このように朝まで営業していて食事もお酒も美味しいお店がどんどん増えていった。そうするとビルが建った事で戻ってきたお客さんに加え、馴染みの店ができてこの辺りに少し遠くても飲みに来てくれる方もでき、地域での顧客が益々増えていった。
・通りが明るくなる
最近のお店はガラス張りのお店が多い。店内から温かい灯りが漏れていて、楽しそうにお食事されるお客様が笑っている姿が外からも見える。ガラス張りにして、飲食される様子そのものを広告とする事は今となっては当たり前だが、昔は店内が覗けない作りのお店が多かった。以前にまして通りが明るなった理由は単に店舗が増えただけではなく、ガラス張りのお店が増えたって理由もあると思う。
【まとめ】
お店を開業した場所がたまたま再開発のエリアだったことを通して、商業人口が減っていく過程とV字に回復していく様子を見る事ができたし、結局は人が人を呼ぶんだと強く実感した。馴染みの店が2店舗、3店舗…と増えていくと、安心してこの地域に飲みに来てもらえるようになる。そして口コミで広がる速度も加速していくというように。
また人は明るい通りを無意識に選んでいるという事。それが安心・安全を担保しているんだろう。この辺り全体で飲食店ができ活性化されたことで私のお店の営業も上手くいった。また地域が活性化した理由は横の繋がりが強かった事に尽きる。それ故、お客様の共有が盛んだった。お互いの店を紹介しあい助け合っていた。すると常連客同士がカウンターで仲良くなって、その事も地域全体での顧客獲得と結束に繋がっていた。
私たちのエリアを錦町エリアとすると、ライバルエリアは神保町エリアやお茶の水エリア、神田駅側のエリア、もう少し遠くなると東京駅周辺や秋葉原がある。周辺には賑やかな飲み屋街が沢山、手強いライバルだ。そうであっても錦町エリアを選んでもらえるか、それが大事になってくる。
結局、この地で4年弱ほどお店をやっていた。残念ながら神田スクエアの完成前に辞めてしまったが、この新コロ騒動が落ち着きさえすればこの地は益々活気づくだろう。
私がお店を作って以降、お店が増えて通りはどんどん明るくなっていき人が戻っていった。お店を辞めて以降も地域は活性しており、新しいお店が更に出来ている。時折昔のお客様が通りの写メを送ってくれ教えてくれる。
地域が活性化して更に盛り上がってくれる事を心から嬉しく思う!けど少しだけ、今もお店をやっていたら楽しそうだなぁと羨ましくも思う。
以上、飲食店と景気の話でした。お店の立地を選ぶ時は長期的な視野を持って、地域を選んでみてくださいね。お読み頂きありがとうございました。
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