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鬼門の話

子供のころから鬼門を清浄することを、事あるごとに耳にしてきました。 京都で生活する人にとって日常に根強くある大事なこと。鬼門に当たる隅に約三尺四方を囲って中に綺麗な土を入れてその上に白砂を敷き詰めるというのは、京町家で一般に行われている方法です。他にも角を欠いたら鬼門は消えると言われていて、鬼門の北東部の角に欠け込みをつくるという方法があります。角を欠けさすことで鬼門を控える、遠慮するという考えの現れからできたと思われます。

京都のお家を見てみるとそういった造りで見られるものと、南天の木が植えてあったりするものがあります。南天は難を転ずるという意味で縁起が良いとされ、一番よく見かけるものだと思います。南天のほかにも、柊、桃、エンジュ、松などが鬼門除けの木としてあります。色々な方法で鬼門という考え方を大事にしてきました。

比叡山延暦寺が最澄に創建され、王城守護の道場となったのが有名です。京の都を守るために都の北東に位置するあの場所に建てられたといいます。延暦寺がその使命を担っていることを京都の人は誰に教えられることなく千年にわたって理解してきたと言われています。              鬼門はなぜ北東か、は中国から来た思想というのが大きく影響します。最古の地理書と言われている中国の”山海経”の伝説に由来します。

”東海の中に度朔山という山があり、頂には大きな桃の木が生え三千里にも渡ってめぐり曲がっており、その枝の間の北東を鬼門といい多くの鬼の入り口となっている。その木の側には二神がいて悪鬼がやってくると縛って虎に食べさせた”と書かれています。古代中国では北方騎馬民族による侵入、略奪があり、秋から冬は北東から猛烈な季節風が黄塵を伴って吹き荒れ、それが鬼とされたと言われます。京都でも北東から比叡おろしが吹きすさび蝦夷を危険視していたところ、とても似ていたことからこの思想が根を下ろすことになったようです。

御所の塀には北東に難が去る(猿を去るの意味で)という意味で、猿の置物があったりします。昔の建物にはよく見られるものです。猿の置物をもし見つけたら鬼門の方角を向いていないか確かめると面白いです。お猿は先日の六道鎮皇寺にもありました。

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京都盆地では風は主に表鬼門ないしは裏鬼門の方向から吹いてきます。風通しの面からも臭いのあるものや湿気がない方がよく、清浄に努めるのも理に適っています。生活に基づいた生活の知恵のようなものを感じます。お盆になると地獄絵図などが拝観できるようになることから、鬼の話、鬼門になりました。今日もいい日でありますように。8/12

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