さよならする
「体を大事に、心を大事に。健やかに。愛をもって」
まるで嘘みたいな、青い空の日。わたしは大学を卒業した。
卒業式の開始まで、あと十分。わたしは研究室の隅で、一人パソコンを立ち上げていた。大丈夫、始まりに戻っただけ。大学のホームページを開き、「ライブ配信はこちら」という文言を探す。コロナ禍を経て、卒業式の様子はオンラインで配信されるようになっていた。URLをクリックして、パスワードを入力すると、晴れ着姿の卒業生たちでいっぱいの講堂が、画面に映し出される。と、その瞬間。研究室の扉が勢いよく開いた——。
わたしはおよそ二年間、大学を休学していた。病気で、大好きだった本を、いや、文章、言葉そのものを、読んだり理解したりすることが困難になった。会話も満足にできなくなった。一時的なものであったとしても、言葉を扱う職業を夢見ていたわたしにとって、それは途方もない絶望だった。
精神的にも身体的にもボロボロの状態で、大学の保健センターに電話したときのことを、今でも覚えている。「とにかく今すぐ来てください」と言われ、コロナ禍で構内へ立ち入ることを禁止されていた大学へと向かった。入り口で守衛さんに許可証の提示を求められたが、そこで、その言葉を理解するまでに、恐ろしいほどの時間がかかった。やっとのことで学生証を取り出すも、「それじゃ入れられないよ!」とキツく言われてしまう。理不尽だ。理不尽だと思いながらも、当時のわたしには、怒ることも、泣くことすらもできなかった。
そして、今からちょうど一年前。少し元気が出てきたころ。いくつかの書類を提出して、復学が認められた。大学には、もうほとんど知り合いはいない。わたしの再スタートは、たった一人だった。
しかし、それからの一年間、わたしにとっての二〇二三年は、忘れられない、輝かしい時間となった。わたしのことを「ソウルメイト」と呼ぶあの子に出会ったのも、この年の夏のことだった。
夏のはじめに知り合ってからというもの、わたしたちは、秋も冬も、毎日のように並んで帰り道を歩いた。歩きながら、たくさんの言葉を、たくさんの感情を共有した。
わたしがわたしの病気を打ち明けたとき、あの子は、涙を流して聞いてくれた。そして言った。「きみは、きみが思っている以上に周りの人から愛されているし、それはきみがどんな人だったとしても、どんな状況にいようとも、変わらないことだよ」と。あの日こそ、まるで奇跡みたいな青い空だったに違いない。この言葉を、わたしはこれからもずっとお守りにして生きていくだろう。それほどまでに、あの子の紡ぐ言葉は美しく、そして、強い力をもっていた。わたしは、あの子の言葉が大好きだった。
ある冬の日。駅前のベンチで、「卒業したらもう会わない」とあの子は口にした。定期的に人間関係をリセットするんだよね、わかるでしょ、と。わたしは悲しかったが、驚きはしなかった。心のどこかで、何となくそんな予感がしていたからだろう。しかし、実際に言葉にされると、それがどうしようもなく恐ろしかった。そして、次に込み上げてきた感情は、怒りだった。
その日から、わたしたちは口をきかなくなった。二人で会うこともなければ、ほとんど連絡を取ることもなくなった。実際には、わたしの方が避けていたのだと思う。あの子がいない冬は、黒い雲が空を覆うようだった。
研究室の扉が開き、スーツ姿の友だちが飛び込んでくる。暖かな春の光が、窓から差し込んでいた。
「あれ、卒業式始まっちゃうよ。早く行こうよ」
ばれた、式に出ないつもりだったのに、とか言いながら、パソコンを閉じる。わたしはもう、一人ではなかった。
講堂へ向かいながら、あの子とのLINEを開く。一文字ずつ、丁寧に。祈りを込めて、わたしはさよならの言葉を紡いだ。
「体を大事に、心を大事に。健やかに。愛をもって。また会おう」
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