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訪問看護は畑にて

83歳だったトシさんは、癌の手術の後、体力が回復してから生き甲斐だった畑仕事を再開した。

地場産業の会社に定年まで勤めたトシさんは、残業も多いし海外に視察の出張にも行くなどバリバリ働くかたわらで、土作りから始めて少しずつ少しずつ畑を続けてきた畑のプロだった。
畑が一番落ち着く。よくそう言っていた。

週に一度の訪問看護は、トシさんの体調を確認して主治医に報告するのがお仕事だった。
滞在時間は30分くらい。トシさんと奥さんから普段の様子を教えてもらい、心配事があればアドバイスして、血圧などの数値も記録すれば任務は完了。

ひと通り話が済んだな、とみるとトシさんは「ちょっと、、、」と呟きながら部屋の暖簾をくぐって居なくなった。
初めての日はどこへ行ったんだろう?と首を傾げたが、この「ちょっと、、」は訪問の定番になった。
「これ持っていきなさい」と新聞紙にくるんだ野菜を抱えて戻ってくる、それがトシさんの、そして私の、訪問の楽しみになっていった。

その日の朝トシさんの畑で獲れたばかりの野菜は土の匂いがして、水気もたっぷりだ。
土ものはずっしりと重いし、葉物はシャッキリと元気がいい。
どれを持たせようかと畑で選んで土から大事に抜いてきてくれた、それがすごく嬉しい。そして何よりトシさんのお野菜は最高に美味しいのだ。


週に一度、野菜を喜んでいただいているうちにトシさんはどんどん元気になり、奥さんが心配するほどにどんどん野菜を作るようになった。
元気になってくると座って話す時間がそんなに長くなくてもよくなって、そのうちに畑で話すようになった。

そうなるともう、トシさんの主題は自分の体調よりも畑の調子だ。
今年の気温がどうとか、虫がどうとか、この芽はなんの芽だとか。
こっちの冬瓜を見てごらん、あっちのトマトを見に行こう、などと、血圧とかの数値よりよほど体調の良さがよくわかる動きっぷりだった。

野菜作りは土作りだよ。
いつしか畑の心を教わるようになった。
土も生き物なんだからと、化学肥料も農薬も使わない。丁寧に天然の肥料で育てる。
トシさんの土は手に取るとふかふかで、すごく柔らかかった。

ある時「土の出来栄えをみるには、これが一番」そう言ってなんとトシさんは土をぺろっと舐めた。「うん、なかなかいいね。あなたもやってごらん」
土を食べた?!いや、さすがにちょっと次の訪問に差し支えるんで、、、と丁重に辞退した。


僕たちの体は自然のもので、僕だっていずれ土に還るでしょ。それぐらい自然のものなの。だから自然の体のために作る野菜は、自然に作らないといけない。当然のことでしょ。

無農薬野菜が特別なものになっている現代に、トシさんは静かに当たり前にその営みを続けていて、口調には力みも変な意気込みも感じられなかった。

一度の訪問で話せる時間は短いものだったけれど、畑をやれるというのはトシさんの楽しみであり体調が良い証でもあり、一番好きなことを話すというのは元気の後押しになっていた。生き生きと話していたトシさんを思い出すと、それは間違いないな、そう思う。


畑の訪問看護はトシさんの入院まで続いた。
道路からよく見えるトシさんの畑は、トシさんが『土に還った』あとも奥さんが野菜が育てていたようだった。トシさんがタネを蒔いた花が、毎年元気よく咲いていた。










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