見出し画像

増薬と減薬と。薬とわたし。


抗うつ薬を増薬して、1年が経つ。

おかげさまで1年半ほど前の強い焦燥感はなくなり、旅に出たり、学校行事や園行事に行ったり、人と会ったりすることは、波がありながらも、日常的にできるようになってきた。
増薬の効果あり。先生の見立ては正しかったのだなあ。

いつも美しい、美味しい景色に癒される。


この1年半、わたしなりに足掻く日々の中で、減薬コミュニティに参加してみたり、カウンセリングを体験してみたりした。

色んな人の考えや想いをシャワーのように浴びる中であっぷあっぷになってきて、「わたしがどう思うのか?」が分からなくなってきたので、今のわたしのありのままを綴ってみようと思う。



正直に言うと、メンタルの薬を飲むのが恥ずかしいという思いは、今もまだある。全然ある。
飲まなくても日々を過ごしていける人が羨ましいし、そこに入れない自分は自分で自分の管理ができないダメな奴、という意識がどうしても抜けない。(この認知の歪みを正そうと何回もしてきたけど、ど〜〜〜〜してもそう思うのだ。)
毎晩薬をぷちっと開けるたびに、くそっと思ったりもする。懲りないね。


だけど、それと同時に、薬に感謝もしているのだ。

減薬コミュニティに参加していたとき、少なからず「薬は悪!今の症状は薬害だ!」と主張する人たちがいて、わたしはもやっと困惑した。
何でだろう?と思ったとき、
・薬の効果はしっかりあると実感していること
・必要なときは頼るべきと考えていること
・その一方で減らすのはそれなりに大変だから、飲まずに済むならその方がいい(別の方法で対処できるならその方がいい)、また必要最小限の量を飲むのがいいと考えていること
という自分の薬に対する考え方分かってきた。

大きなメンタルダウンの波が来るたびに、わたしは確かに薬に救われてきた。
でもその度に少しずつ薬の量が増え、飲んでいる薬は一種類ではあるものの今はmax量であり、だんだん耐性が出来て少しの量では効かなくなってきているのでは?今後はどうなる?というのが不安。
これが今のわたしの、正直なところだ。




これからまた、わたしは減薬へと向かう。

でも実のところ、薬をゼロにしたい!とはあまり思ってはいない。数年ぶりに薬フリーの状態を経験したい!という思いはあるものの、離脱症状で調子を崩す様子が目に見えているので、自分がご機嫌な状態を保てる最小限の量にしていきたい。
(現在の4分の1の量を続けていくのが一番良いのでは?と体感的には思っている。)
感動しにくくなり感情がフラットに平坦になったり(元々振れ幅が激しいのでそれでいいのかもしれないけど…)自分らしさを少し抑えられている感じがあるので、もう少し減らしてバランス取りたいな、というところ。

今までは主治医に任せきりだった減薬方法やタイミングも、自分の意見を言っていこうと思う。
「自分の体や心から発せられるサインに正直にいることが一番大事」ということは、今回の不調期間で学んだこと。今だな、というタイミングはやっぱり自分が一番よく分かっているし人任せにしない責任感も今のわたしには必要だ。
わたしの人生は、わたしのもの。誰にも任せられないのだ。



あれこれ書いてきたけれど、忘れたくないことがある。それは、薬の有無にとらわれてそれだけを考えて生きていくほど、わたしの人生は長くないということ。

なぜ薬を飲んでいるのか。それは毎日を出来るだけ健やかに過ごすため。薬は人生をハッピーに過ごすための道具の一つなのだ。

薬を減薬しても、もし断薬できたとしても、わたしの人生はそこでゴールではなくて、日々はまた地続きで続いていく。だから自分にあった薬の量を模索しつつ、栄養面などの努力は少ししつつ、そことはまた離れたところで自分のしたいことをして人生を歩んでいくことが、きっと大事なんだと思う。
ここが今のわたしの、着地点。



夏休みに入るからってわたしが完璧でいる必要はない。怠かったらまだまだだらけてていい。レゴのバイクは2人乗りじゃなくたっていい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?