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その価値を金額に
自分のために綴るnote。
数字が苦手なyumiigoです。
"苦手だ"と言ってしまうと確定してしまった気がして好きじゃない。
もしかしたら思い込みかもしれないって余白というか伸び代を残したい気持ちがある。
往生際が悪いだけか。
なんでも決めつけたくない。
言葉だって決めつけみたいな所があるから悩むんだ。
例えば感情を「悲しい」と言ってしまったら違う感情の余白を無くしてしまう気がする。
悲しい中にも少し怒りもあるかもしれないし、もっと複雑な思いもあるかもしれない。
でも一言で「悲しい」と言ってしまったらそれだけになってしまう気がして、そんな単純な言葉で切り取りたくないと思ってしまう。
だから「感謝しかない」とか最近よく聞く表現が私は好きじゃない。
この"~しかない"という言葉は最上級の意味として使っているだろうことは頭では分かるんだけど、私はなんとなく好きじゃない。
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数字の苦手さもそれに近い嫌悪感かもしれない。
数字は分かりやすくしてくれるけれど、微妙なニュアンスとか背景もすべて削ぎ落としてしま気がするんだ。
数字というシンプルなわかり易さは、パワーと圧倒的な説得力があるように見えて人を騙せる感覚もある気がする。
私は学生時代に劇団の座長をしていたことがある。
その時に自分達の公演チケットの金額をお客様に決めてもらおうとしたことがあった。
自分達で作った芝居の金額設定をどう決めたら良いのか分からなかったのだ。
本来なら借りた会場代やら諸々含めてかかった費用を算出して、チケット代を決めて赤字にならないようにいくらで何枚売ればいいと数字を明確にするものかもしれない。
ただ私はお金に対する意識があまりに低かった。
仕入れと売上という形すら思いつかなかった。
仲間と折半で当日までの準備と会場代はお金を出し合ったし、公演で得たお金もみんなで分けて終わった。
多分赤字で終わっていたんじゃないだろうか。
その記憶がないほど意識していなかった。
自分が好きなことをするのにお金を遣うことに疑問はなかったんだ。
それと同時に儲けようという意識もなかった。
私達の芝居を見てもらって金額を決めてもらおう。基本は無料でいいやと思ってしまっていた。
その私達の芝居を観てくれたお客さんは困惑しただろうなあと今は思う。
本来は決めてくれた方が楽なんだ。
そんなお金にずさんな私なので、今もお金のことでよくつまづくんだ。
営業には全く向かない気がして無意識に避けてきたのかもしれない。
これまでも社会貢献事業部とか割とお金を意識しないで済む仕事を担うことが多かった。
それでも仕事をしていれば時には金勘定をしなければならない時が出てくるもので、ここ最近四苦八苦している。
金額設定って何を基準にしたらいいのかさっぱり分からないんだもの。
自分の仕事の価値を自分で決めるって難しくないだろうか。
私は自分の仕事に誇りを持っているし恥ずかしくないものを提供している自負はあるけれど、それをいくらで?といわれたら本当に困ってしまう。
…相場っていくらなの?とこちらが聞きたいくらいだ。
そもそも立場上私にギャラとしてそのまま入る訳では無いので、会社に入るお金となると余計にいくらでもいいんだけどと思ってしまう。
私の給料には直接1円も反映されないのだ。
むしろ私にその仕事を回してくれたことに感謝してタダでやりますよと言ってやりたいくらいだ。
とはいえタダの仕事は"それなり"になってしまう気がする。
受け取る側も無料であるとぞんざいな扱いになるし、そういう視点で見られるだろう。
無料にクオリティは二の次になる。
やっぱり金額でその仕事のクオリティが担保される部分もあると思うとやっぱりちゃんと考えなきゃいけないことなんだよな。
私の仕事の価値はどのくらいあるんだろうか。
それをどう数値化すればいいのか最近はグルグル頭を悩ませて、周りの人に相談したり。
やっぱり数字で表現するのは苦手だとしみじみ思いながら今日もExcelに向かう。