ディエゴとの関係性(フリーダ・カーロの日記#14)
ディエゴとの一体化
1944年、ちょうど日記を書きはじめたころ、フリーダは結婚15周年の記念日に『ディエゴとフリーダ』 というオブジェをディエゴに贈っています。これはディエゴと自分の顔の半分を一体化したオブジェで、私たちはかけがえのない存在であるという表明でもあったのでしょう。
母子に見る包括的な愛
いっぽうディエゴは、1945年、壁画『アラメダ公園の日曜日の午後の夢』の一部に、母親のフリーダと子ども姿の自分を描きました。
フリーダも1949年に完成した『宇宙、大地、ディエゴ、私、セニョール・ショロトルを抱擁する愛』で、赤ん坊であるディエゴを母親のフリーダが腕に抱いている絵を描いています。日記で、フリーダはこの下書きとなる絵を119ページに残しました。1947年8月のことです。
フリーダはディエゴを語る時、饒舌となり、あふれるように言葉を紡いでいきます。そして母親であるだけでなく、胚子、幼芽、彼を生んだ最初の細胞となり、ディエゴとの様々な関係性を模索してゆきます。
なぜ私は彼のことを私のディエゴと呼ぶのだろう。
さらに日記には、ディエゴをうたった有名な一節があります。フリーダにとって、すべてであるディエゴの存在は”始まり”であり、子、夫、母、父であり、私、そして宇宙へと移りかわります。しかし、次のページになると、夢から目覚めて現実に引き戻されたように「なぜ私は彼のことを私のディエゴと呼ぶのだろう」と自問自答するのです。それまで主観で語っていたフリーダの視線は、一瞬で遠のき、第3者の視線に変わります。それは彼女の絵画でも同様です。深い痛みを負った自身を自画像で描くとき、つねに冷静に見つめるもうひとつの目が存在しています。
フリーダはエッセイ 『ディエゴの肖像』で、「私はディエゴを≪私の夫≫と呼ぶつもりはない。そう呼ぶのは馬鹿げてるし、ディエゴはいまだかつて誰の≪夫≫でもなかったし、今後もありえないのだ。」※と書いています。日記のこのページがエッセイの構想になったのかどうかは定かではありませんが、フリーダにとってのディエゴの存在の大きさを強く感じる言葉です。フリーダが執筆したエッセイ 『ディエゴの肖像』は、1949年に国立芸術宮殿で開催された「ディエゴ・リベラ50周年回顧展」の紹介文として起用されました。※出典:ヘイデン・エレーラ『フリーダ・カーロ』353頁