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フリーダと植物(フリーダ・カーロの日記#15)


Andrea Kettenmann, Rivera, Taschen 2000
Andrea Kettenmann, Kahlo, Taschen 2003

植物との融合

1946年の脊椎接合手術以降、フリーダ・カーロは度重なる手術と病状の悪化により寝たきりの生活が多くなりました。1951年以降になると、自画像ではなく果物や植物を描くようになっていきます。テーマは主に「生命」。病状の悪化により絵のタッチも以前のような緻密さを欠いていきます。

日記にも、植物や根が描かれているページが所々あります。例えば、涙が流れ悲しみを表現する西洋風の男女の横顔を描き、中央には官能的な男女の快楽を、下段には血管らしき根のようなものが足元から伸びている描写があります。特に、中央に描かれている両足は黒く縁取られ赤く塗られ、強烈な印象を与えています。足は痛みの象徴なのか、それとも血液のごとく養分を得て、快楽へと導いたものなのか…。そこには、涙で象徴される悲しみもまた描かれています。

静物画

次のページでは、果物の静物画を描いています。タイトルには、あえて"Naturaleza viva(生き生きとした自然)”というタイトル。これはスペイン語の「静物画」“Naturaleza muerta (死せる自然)”に対抗したものではと解釈されています。

「金持ちも貧乏人も死ねばみんな骸骨」と言ったのは、メキシコの風刺画家ポサーダでした。死を身近に、タブー視せずにとらえ、生を全うしようというメキシコの死生観。そんな中、フリーダは常に死と隣り合わせに生きてきました。フリーダは相反する二つの原理からなる二元論を重んじ、太陽と月、陰と陽、生と死、喜びと悲しみ、そしてそれらを包括する世界を描いています。人生には光と影があり、陰があるからこそ光は豊かな美しさを放つとしたら、人間の本質ともいえるこの相反するバランスを、誰よりもフリーダは意識しながら、人生をおくったのかもしれません。


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