爆弾に結んだリボン(フリーダ・カーロの日記#4)
1938年にメキシコを訪れたアンドレ・ブルトンは、フリーダの絵を絶賛し、彼女の芸術を「爆弾に結んだリボン」と評しました。
ブルトンは、フリーダにニューヨークとパリでの個展を企画すると約束をし、フリーダはニューヨークでの個展終了後、1939年にパリに渡ります。しかし、パリで個展の準備は一向に進まず、フリーダはブレトンのいい加減な人柄に嫌気がさしてブルトンの家を出てしまいます。
その後、マルセル・デュシャン夫妻の世話になり、個展は何とか開催されましたが商業的な成功とは言えないものでした。しかし、カンディスキーやホアン・ミロ、パブロ・ピカソ等による芸術家たちからの賞賛を受けます。
成功の証としてよく言われるエピソードは、パリのルーヴル美術館が彼女の作品『フレーム』を買い取ったことです。また、彼女のファッションセンスはフランスで旋風を巻き起こし、有名ファッション雑誌「VOGUE」の表紙を飾りました。
フリーダにとってのパリ滞在は言葉の通じない孤独な日々だったようです。しかしフリーダが、ブレトンの妻ジャクリーヌ・ランバへ宛てた手紙を読むと、ふたりの関係は親密で特別なものだったことがうかがえます。
フリーダはメキシコに帰国後、だいぶ後になってから、ランバ宛てに書いた出港時の別れ際の手紙を日記に書き写しました。日記に記した手紙にランバの名前は出てきませんが、後になってから専門家らにより、この手紙がランバへ宛てたものだったことが明らかにされています。
手紙では、パリの蚤の市でふたりで見つけた花嫁人形について触れており、「あなたの娘は私の娘」と綴っています。この花嫁人形は、1943年のフリーダの作品『あからさまになった人生を見て怯えた花嫁』に登場しています。
(EL DIARIO DE FRIDA KAHLO:UNA NUEVA MIRADA,La vaca independiente より)
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