フリーダ・カーロの日記 から
メキシコの女流画家フリーダ・カーロが、自身の日記で綴った一文です。
フリーダ・カーロは、1954年に没するまでの人生最後の10年間、自ら絵日記を綴っています。
1998年、神保町のイタリア書房でこの日記の本を手にした時、すっかり彼女の絵の迫力に引き込まれてしまいました。日記は、通常個人の記録を残すものです。けれど彼女の日記は違っていました。両方の目を見開き痛みに目を逸らさず、現実を見据え、自己との対話を試みている実験的とも言える日記でした。
かつてアメリカではドラッグ・カルチャーやヒッピームーブメントの波に「フリーダ・カーロ」が取り上げられ、マニアファンが急増しました。意志の強い眉と個性的なファッションは、アメリカ人にとっては彼らの好む強い女性の理想像と重なったのかもしれません。
そして今ではフェミニズムのイコンとなって、強く生きた女性として取り上げられることが多くなりました。
でも、本当の彼女はどうだったのでしょうか。堀尾眞紀子先生のご執筆の『フリーダ・カーロ ―引き裂かれた自画像』を読むと、晩年に勤務した美術学校の弟子たち(ロス・フリードス)の1人の回想録に、フリーダは「自分は絵描きになんてなりたくない。長生きして可愛いおばあちゃんになって、抽き出しの中の細々したものを整理していたい」と話していたと書かれています。
フリーダに関する評伝は、世の中に溢れています。けれど、どんなに彼女の声に近いものに触れようとも、やはり彼女の声に代わるものはありません。この日記は、フリーダ・カーロ本人の言葉によるものだからです。
日記の前半は単語を列記した自動筆記で、フリーダ オリジナルの飛躍した言葉遊びになっていて、難解でありながらも軽快なリズムの素晴らしい詩になっています。そしてディゴ・リベラへの忠誠と愛情が痛いほど伝わってくる手紙、幼少期の回想録、死への恐怖、自問自答など、感情のほとばしるままに言葉に綴り、絵具やクレヨンや色鉛筆を用いてつぎつぎ絵にしていきます。どれも心の奥底にある、ありのままの声が綴られた独白です。
そして度重なる手術、流産、離婚、復縁…、精神を保つために絵を描き、ディエゴを愛し、傷つき、間違いを繰り返し、絶望し、それでもディエゴでないとダメだと気づく。ディエゴとの関係性を探り、母となり、同志となり、分身となりながら模索していく軌跡。
ここでは、彼女が綴った「フリーダ・カーロの日記」について、ページに沿ってメキシコの時代背景や彼女自身について、またそれにまつわる備防録を綴っていこうと思います。
…
かれこれ20年余りフリーダ を愛する人たちの代弁者となり、彼女の日記の日本での刊行を願い、出会った方々へ思いを伝え、一緒に歩んでくれる方を見つけて、そのために動いてまいりました。
『フリーダ・カーロの日記』日本語版、2023年の春に刊行予定です✨
どうぞよろしくお願いいたします。
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