この日本で起こる自然の強さを思い知る〜被災地での経験を想い、辿る(2)〜
私はもともと動物の保護活動からの東北地震での被災した動物の一時預かりを始める段取りをしていました。
そんな時、あるご縁で繋がった「現地の人のお世話」。
そもそも人のお世話なんかしたこと無いし・・・。
人って自分で何でも出来るんじゃないの??
浅はかでしたが、これが私の一番最初の印象でした。
「自分で生きることが困難な動物の助けに時間とお金を使いたい」
この概念を持っていたからですよね。
すぐに自分の車を災害支援の許可証を貰うための書類集めを始め、苦手な申請処理。
万が一の時の為に自分自身の保険も新しく追加して。
そもそも、無事に生きて帰って来れるかわからないって思っていました。
初めての被災地支援で選んだのは、「石巻市雄勝町」という場所でした。
石巻の市街や女川、松島のような誰もが知っているような観光地ではない雄勝町を選んだ理由。
それは、どの情報を見ても、圧倒的にボランティアさんが少なかったからです。
道が寸断されているから、現地入り結構大変かもと言われながらも、MTの車高を低くしたスポーツカーで現地入りした私(汗)←それしかなかった。
テレビに映る被災地や避難所の状態を見ながら、必要なものを選び、車に積めるだけ積んで向かいました。
避難所には、大半が津波でご家族を亡くした方ばかり。
小さな赤ちゃんからお年寄りまで同じ場所で過ごし、生活をしていました。
私は自分の店で酢飯を作り、干瓢を煮て、太巻きを作る準備をしてお昼ご飯ので振る舞う予定でした。
私は炊き出し班を任されました。
「150人ほどが生活をしている避難所だったので、300人分ほど準備していけば余裕かな。おいなりさんも余分にあれば晩ごはんも食べて貰えるかな。」
なんて思いながら。最初に現地入りしているボランティアさん、一緒に活動しているボランティアさんにも、温かくて美味しいものお腹いっぱい食べて貰いたい。と。
「腐敗」にも気をつけないとならなくて、ただでさえ体力が弱っている方たちが召し上がるものだから相当気を使いました。
到着するまでも時間がかかるから、被災地の食事って、菓子パンやお菓子、保存のきくパンが主流になってしまうの、当たり前ですよね。
「普段から食べ慣れたものを備蓄」とは言いますが、レトルトのカレーや小麦粉ばかりを食べていたら、どんなに食べ慣れていても体調崩さないのか???
という疑問しかありませんでした。
現地で初めて、本当に起こっている状況と対峙することになりました。
東京では、ガソリンの在庫が無くなり、どこもガススタが休業で、練馬区ですら、ペットボトルのお茶を買うのに何時間もスーパーで並んでいた時期。
私の仕事は和菓子屋を除き、一時休業を選びました。
ガソリンが不足している時に、犬のトレーニングに時間を使う人はいないし。
休業するなら、その間ボランティアに尽くそうと、しばらく東京と現地を行き来し、物資を運んだり必要な頼まれごとなどをこなしたりしていました。
多かった依頼が「薬の調達」でした。
あとはタバコやチョコレートに飴ちゃん、お米の調達。
当時は何の違和感もなく、車いっぱいに炭水化物を詰め込み、現地入りしていました。
そして自分も一緒に食べていた(汗)
運転の疲れもあり、車内や現地で食べるチョコレートの美味しかったこと。
その時は分かりませんでしたが、この1年、「食」について様々なことを勉強し、過去の行動を思い出すと、今まで見えてこなかったことが見えてきました。
今だからこそ分かる「様々な辻褄」。
私のサバイバル飯の概念も大きくアップデートきた理由です。