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私がLinkedInで発信するワケ -SNS活動の始まり-

夫の東京転勤を機に、仕事復活へのリベンジを決意した専業主婦の私。どんなふうにリベンジを果たそうか…。ただ「働きたい。私の存在を認めて欲しい」その強い想いだけが、私を突き動かしていました。

私は何をしたかったんだっけ。子どもたちと、田舎でのんびりと暮らす生活に、幸せは感じられなかったんだっけ。そんなことを自分に問いかけていました。

「あなたはカウンセラーに向いている」という言葉を信じ、飛び込んだキャリアカウンセリングの世界。そこには、私の人生の問題が大きく関わっていました。男性同様に活躍したい、だけどそのためには睡眠を削るほどの残業と、全国どこへでも飛んでいく転勤を受け入れる必要があります。私の夫は転勤族。私も転勤族。もし結婚をして家族を持ったら、子どもを産み育てることと、夫も妻もキャリアを継続することは、果たして可能なのだろうか?正直、無理ゲーです。私の両親も、義理の両親も遠方に住んでいるため、様々な援助をお願いすることは不可能です。それなら私がキャリアを諦めて、夫のキャリアを継続した方が、経済的にも、家族の全体最適としても良いのではないか、私さえ諦めれば、それで安泰なのではないか、そう思っていました。田舎には就業機会がありません。そして女性に対するキャリアの理解もありません。中途半端に男性と同じキャリアを歩んできた私には、はまりどころがないのです。そんな折、ラッキーなことに、夫の東京転勤が決まりました。「東京には就業のチャンスと、女性のキャリアを受け入れる素地があるはず。東京に行けば、復活できるはず」そう信じて復職プランを立て始めました。

ここからは、自分の意志と向き合う戦いである。

私の人生を懸けた真剣勝負。負けられない。

私の想いを回想する―

男子にもテニスの勝負を挑んでいた勝気な私が、今、家族のサポートのみに徹している。そんなことは重々承知で、それが家族が納得する形だと分かっていても、私の心は納得がいかなかったのだ。専業主婦なんて…専業主婦の母親の背中を近くで見ていた私は、複雑な気分になった。でもこれが現実。専業主婦の痛みも分かった。専業主婦の幸せも体験できた。家族だけにとことん向き合い、自分を殺す、そんな「幸せ」だ。

ラッキーなことに、東京に引っ越す。何から始めるか…。ここまで、すでにキャリアブランクは3年。子どもの幼稚園を決めることが先決。もし働き始めたら延長保育が必要だ。普通の幼稚園なら14:00までしか預かってくれない。仕事に就いていない私は、ポイントが稼げず、保育園の入園枠に入ることは不可能だ。どうしよう。そうだ、こども園にしよう。幼保一体化の政策で、こども園があった。引越し先の横浜で、こども園を探そう。

横浜のこども園の競争率は高く、7倍の入園倍率。こちら横浜では、お母さんは幼稚園に「選ばれる立場」なのだ。入園の理由書を書く。園長先生へのお手紙。何日もかけて園のホームページを読み込み、筋の通った理由、なぜその園なのかを熱い文章にしたためた。

7倍の入園倍率を突破し、こども園には入ることができた。これで仕事準備の第一段階は終了。次は就職先だ。ここまでで既に5年のブランクがある私は、普通には就職できないだろう。私という商品に、説得力を持たせるにはどうしたら良いのか。資格だ。人脈もできるかもしれない。平日はワンオペ育児で時間がない。土日、夫に子どもたちのお世話を頼もう。なるべく家族に迷惑をかけないように、様々な家事は平日に全て済ませ、夫には土日の晩御飯の準備だけ手伝ってもらった。毎週土曜日は専門学校で1日授業だ。半年間の通学の後、ペーパーテストとカウンセリングの実技試験を受け、合格したら、キャリアコンサルタントの資格を取得できる。毎日育児が終わった22:00頃から夜中まで勉強する日々が続いた。

しかし自分の努力とは裏腹に、人生とはそんなにうまくいかないものだ。

息子の重度の食物アレルギーが発覚した。しかもアレルギー反応が出る食物は10種類以上もあった。乳と卵は、アナフィラキシー症状を起こすほど重度だった。乳と卵のアレルギー治療が大学病院で始まった。入院して少しずつ牛乳を口に入れて慣れさせる治療が始まる。わずか5ミリリットルの牛乳を口にしただけで、1歳の息子の顔はパンパンに腫れあがり、全身のひどい蕁麻疹。急いで医師から薬の点滴を受ける。息子は眠ってしまった。

ベットで横たわる息子のそばでテキストを取り出し、テスト勉強を始めた。朝早くから入院し、病室には既に夕日が差し込んでいた。私と息子の二人だけがいる夕日がまぶしい病室で、キャリアコンサルタント試験のテキストを開く。3日後にはキャリアコンサルタントのペーパーテストだ。

そして、ペーパーテスト。合格。カウンセリングの実技試験は3回目でパスした。

専門学校には様々な仲間がいた。その中の一人の方が、私にオンラインカウンセラーの仕事の話をくれた。キャリアアドバイザーとして少しでも実務経験がある人を探しているそうだ。そのお話を受け、オンラインカウンセラーとしてデビューすることになる。

いよいよ「鈴木祐美子カウンセラー」という「商品」をネットで売り出す。その紹介ページに載せるため、初めてコラムを依頼される。初コラムは「働きたくても働けない女性の『三つの制約』--制約を乗り越えるために」これは紛れもなく、私自身の話。当事者である私が、私のような制約のある主婦を救いたかった。

働きたくても働けない女性の「三つの制約」--制約を乗り越えるために(2016.12.15. 更新 出典:株式会社cotree ホームページ)

横浜に引っ越してから、資格も取った。オンラインカウンセラーとしてデビューも果たした。少しずつ復活できている。かつての「キャリアカウンセラー」に近づくように、カウンセリング実績を積み上げよう。それが私のキャリアブランクを埋めてくれる「信頼」になる。段階的でも構わないから、ちゃんと正社員として働こう。そして途中になっていた私の使命を果たそう。

しかし、やはり人生はうまくいかない。次の難関はこども園の延長保育。

重度の食物アレルギーの息子は、給食すら出してもらえない。毎日お弁当を作り、その上母親の付き添いが必要。こんな状況では延長保育どころではない。また仕事の話が遠のいた。しばらくはオンラインカウンセラーとして実績を積もう。隙間時間を利用して、細く長くでもいいから、仕事をしている時間を増やそう。

…こんな感じで色々と考えていました。

そして私は、仕事にたくさんの時間を使えないので、息子の幼稚園で何かできないかと考え、傾聴サークルを立ち上げました。園長先生に企画書を作って持ち込み、直訴したのです。園に通う子どもたちの母親向けに、キャリアコンサルタントの資格を活かし、子供との接し方や、自分のキャリアとの向き合い方について活動をすることにしました。コンテンツは自分で研究してオリジナルで考え、最初は30人以上の母親が集まりました。しかし次第に人数は減っていきました。恐らく距離が近すぎて、自分の本心を語れなかったのだと思います。そりゃそうですよね。同じ「ママ」という立場ですから。園ではカウンセリングの距離が近すぎると感じたので、外部の方向けにFacebookのページを立ち上げることにしました。「主婦のためのキャリアカウンセリング」です。これなら全国のお母さんたちに届けられます。ここで初めてネットの記事を用いた意見の発信を始めます。「働き方改革」「専業主婦の苦悩の声」それらの声を届けたかったのです。

そんな風に地道にFacebookで発信を続けていたある日、コラム執筆依頼のスカウトを受けました。コラムライターとしての仕事が舞い込んできたのです。

キャリアブランクは7年。新しい私の始まり。SNS活動の始まり。

専業主婦のリベンジが始まった。

私のリベンジは続く。

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私がLinkedInで発信するワケ -私のスタートライン-

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