欲しかったのは財源だけか
国庫補助金を廃止し税源移譲で一般財源化?
いいだろう好きなだけ持っていくがいい
そのかわり国としては地方のやることには
これ以上口も出さないが金も出さないことになるぞ
#ジブリで学ぶ自治体財政
地方財政にとって聞き捨てならないニュースが飛び込んできました。
記事には「財務省は22日、財務相の諮問機関である財政制度等審議会の分科会を開き、地方自治体に対し歳出改革の徹底を改めて求めた。教員の給与増加など地方の財政負担につながる国の政策が実施される可能性があり、自治体にはIT活用による行政業務の合理化など歳出抑制のための取り組みが必要だと訴えた。」とあり、国において教員の待遇改善のための時間外手当支給の仕組みの見直しが進められていることを受け、その費用を負担することとなる地方自治体の財政運営を懸念する声が上がったことが報じられています。
生粋の地方自治体職員であれば「ちょっと待てよ」と言いたくなるこの議論。
国が制度の見直しをすることで地方自治体の負担が増える。
その負担増をカバーするための歳出削減を地方自治体が取り組まなければならないっておかしくない?という声があちこちから聞こえてきそうです。
国が制度を見直すのなら、その負担増は国が面倒みるのが当たり前だろう!と怒りの雄叫びを上げる猛者もいるでしょう。
私も記事を見た直後は脊髄反射的に「また財務省がくだらんことを」と思ったところです。
しかし、よくよく考えてみると、財務省の言うことも一理あるのです。
件の教員給与費はそもそも誰が負担しているのかを考えてみてください。
憲法第26条は無償による義務教育の実施を定めており、国民のすべてに対しその妥当な規模と内容とを保障していることから、義務教育費国庫負担制度により国が必要な経費を一定の割合で負担し、財源の偏在に影響されることのない教育の機会均等とその水準の維持向上とを図っているのが現状です。
この制度により、義務教育にかかる国と地方の負担割合は2005年まで国:都道府県=1:1でしたが、いわゆる「国と地方の三位一体の改革」、すなわち「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」の目玉として地方六団体側が主張したのが義務教育費国庫負担金の一般財源化でした。
「地方の要望通り財源が地方に移譲された上で一般財源化された場合、それまで義務教育費に用いられていた財源がそれ以外の用途に転用される可能性があり、結果的に教育費の縮小を招き、義務教育の地域格差が発生するおそれがある」という国の指摘に対し、財源の地方移譲を主張する側は、「財源が自前のものになれば、地方自治体の当事者意識が高まり、意欲的に教育改革に取り組む姿勢が芽生える」との論を展開。
両者が譲らない中で議論が膠着し、結局、国:都道府県=1:2とすることで合意されたという経緯がありますが、義務教育に関する財源を自前のものとすることで教育行政に対する地方自治体の当事者意識が高まるというのは地方側が主張していたことなのです。
で、昨今の教員不足による過重労働、教員へのなり手不足に伴う教育の質の低下に歯止めをかけるために教員の働き方や人件費の在り方を見直そうという流れになっているわけなのですが、もし仮に三位一体改革で地方が主張していたように義務教育にかかる経費が一般財源化され、税源移譲と併せて地方固有の財源から支弁することとされていたなら、現在国主導で議論されている教育改革は地方側において議論し、結論を出し、新たな費用負担があればそれは全額地方側で負担していたわけです。
従来の折半負担ではなく国は1/3しか負担しませんが、その代わりシビルミニマムとしての教育の在り方を国家レベルで議論し、改革を進めるのには新たな費用負担が不可欠であることを踏まえ、その2/3を負担することとなる地方自治体の財政運営に警鐘を鳴らすのは「お前たちが主体的に教育やりたいって言うから財源と権限を渡したけど、教育充実のために負担を増やす分は自分でちゃんとケツ拭けよ」ということなのではないでしょうか。
「財源が自前のものになれば、地方自治体の当事者意識が高まり、意欲的に教育改革に取り組む姿勢が芽生える」
こう主張した「国と地方の三位一体改革」から20年が経とうとしています。
このほかの分野でも補助金・交付金の廃止縮減や税財源の移譲、地方交付税の見直しが行われ、国から地方に権限と財源が移譲されていますが、地方自治体は移譲された権限を、与えられた財源をベースに本当に当事者意識を以て意欲的に行使できているのでしょうか。
これから少子高齢化で人口も減り税収も減っていく中で避けられない行政コストの縮減。
この痛みを乗り越えるべく緩やかな縮小に舵を切っていくうえでは、その痛みを受ける市民と直接対話することができる地方にその権限と財源を委ねたほうが良い。
そのために三位一体改革で地方に税財源と権限を委譲したというのが国の理屈だったのではないでしょうか。
一方、地方は三位一体の改革で何を勝ち取ろうとしたのか。
補助金、交付金の廃止縮減と相応する地方負担の税源移譲、交付税措置等による一般財源化により、国の関与からの自立を図った結果、地方のことは地方で決めて実施できるという裁量を得た一方、新たに必要となる財源は自前の財源の中からビルド&スクラップでひねり出さないといけません。
権限と財源を手に入れるということは、その施策事業を拡大する裁量権を得たのと併せて、廃止縮小する場合にも自らの責任でその判断を下し、市民に対して説明責任を果たす義務も引き受けたということなのです。
私が地方自治体の予算編成手法として推奨している「枠配分予算」でも同じことが言えます。
限られた財源を自ら行いたい施策事業に柔軟に充当できる代わりに、財政状況が厳しい時に既存の施策事業を廃止縮小する場合であっても「財政課から査定されました」とは言えない仕組みです。
裁量の権限を手に入れるということは、他人からとやかく言われないという自由と引き換えに、どんな結果を招いても他人の責任に転嫁できないという自己責任を引き受けたということ。
だったらそんな権限は要らないという方々もおられるでしょうが、現場で決められることなのにわざわざ本部まで伺いを立てるという非効率、現場の実情を伝え聞くことしかできない中央で判断し末端に指示を出すことの的外れリスクを考えれば、可能な限り現場に権限を委譲しておくことが良策といえます。
とはいえ、今回報じられた財政制度等審議会での議論は、私から言わせればちょっと上から目線でおせっかいな印象でした。
「自ら求めて権限と財源を手に入れたんだから、そんなこと国から言われなくたってわかってるし、必要な財源のねん出だってできるに決まってるじゃないか。地方をなめんなよ」
くらいの啖呵が切れないといけないのですが、全国的にはどうなのかな、と思った次第です。
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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