力への服従の果てに
無政府状態にもほどがある
側近が誰も意見しなかったのは
思考停止の盲従かそれとも
責任を知事に負わせる確信犯か
#ジブリで学ぶ自治体財政
兵庫県庁での一連の騒動は知事への不信任決議というところまで進展しました。
報道での関心事は知事が辞めるのか、議会を解散するのか、といった政治闘争に関心が偏ってしまい、事態の真相究明のために議会が設置した百条委員会も今後の動きが不透明になってきましたので、なぜこのような問題が起こったのかという要因分析やそれを踏まえた再発防止策についても議論が止まってしまうのではないかと危惧しています。
繰り返し述べているように、このような事案は実はどの組織でも起こりうる話なのですが、今回の事案では組織のトップやその周辺の官房部門が行う不正を内部から告発して是正することの難しさを改めて確認できたものの、現行の公益通報制度の脆弱さを補強する手立てについて専門家、有識者は「かくあるべし」とは述べるにとどまり、実効性のある仕組みとして具体的な方策を提案するには至っていません。
一方で、自治体組織の場合、トップが有権者から選ばれて権限の付託を受けるという民主主義プロセスが尊重される現行法の下では、今回の兵庫県での事案のように全議員から突き付けられた不信任という結論をもってしても自動的に失職させることができないという強固な権限を持っていることがわかりました。
私たち自治体職員は、この強大な権限を持つトップの元で、部下職員としてトップのハラスメントや法に抵触する言動に対し毅然とした態度をとることができるのでしょうか。
私たち自治体職員の働く現場では、兵庫県の事案に限らず、全国で首長のハラスメント事案が報じられています。
また議員や市民から、あるいは組織内部でのハラスメントも後を絶ちません。
これは事案そのものが増えているというよりは、以前であれば社会が軽視し許容していた人権侵害行為が人々の意識変化により見過ごされなくなったということでしょうから、このことの顕在化は喜ばしいことでもあります。
しかしながらいまだに「ハラスメント行為に当たるとは思わなかった」という言い訳がまかり通るほど行為者側の意識レベルは低く、告発した場合の救済の仕組みが脆弱であるため、泣き寝入りしている事案も数多くあることでしょう。
ハラスメント行為は、被害者の精神的、肉体的苦痛を強いる人権侵害であることがそもそも大きな問題ですが、それに加えて自治体組織においては職員がその苦痛を避けハラスメントを受けまいと自己防衛に走る結果、法令の遵守や市民の信託に応えるといった職務上の責務遂行が阻害され、本来行われるべき行政運営に歪みが生じる恐れがあるという点、そして場合によってはそのハラスメントやそれに起因するコンプライアンス違反行為が横行する風土の中で組織防衛の論理によって告発や自浄作用による適正化が行われず行政運営の歪みが隠蔽されてしまうリスクに留意しなければならないという点が、今回の兵庫県事案から私が学んだことです。
では、自治体職員として、トップや官房部門、議会、市民、上司等からのハラスメントを受けないようにするにはどうすればいいのか、また受けた場合にどうすればいいのか、考えてみましょう。
ハラスメントの源泉は「力」です。
ハラスメントの行為者が、他人が嫌がることを平気でするのは、報復を恐れていないから。
自分より「力」がある者に対して、その「力」による報復が自分に及ぶことが予見できる場合には、ハラスメント行為は行われません。
ところが、ハラスメントの行為者は自分よりも「力」のない者を選び、あるいは自分にその報復の矛先が向かないとわかっているときに、故意か無意識かは別にしてハラスメントに該当する行為を行います。
ハラスメントが起こりやすいのは、「力」のある者がその「力」を背景に他を服従させることが常態化した組織。
絶対的なリーダーが君臨しすべての権限が集中している組織や、服務規律上、上官の命令が絶対とされる組織、知識経験の豊富なベテランがすべての意思決定に関与してくる組織などは要注意です。
「トップの指示だから」「上司の命令だから」「ベテランの言うことだから」と理屈抜きで誰かの「力」に屈することが組織の中で常態化していると、その「力」の行使が常に正当化されることに乗じて、その「力」を背景とした威圧や服従の強制が始まり、しかしながら受け手側はすでに「力への服従」が体に染みついてしまっているので、被害者は不当な「力」の行使に対抗することができず、傍観者もその「力」の行使に違和感を覚えない、そんな関係性を想起してください。
兵庫県のようなことが多くの自治体で起こるのではないかと私が危惧しているのは、自治体職員の意識として「選挙で選ばれた首長の言うことには逆らえない」「組織の決定には忠実に従う」「議会は軽視できない」「市民に失礼があってはならない」といった相手方の立場が持つ「力」への無条件の服従意識が蔓延しているように感じるからなのです。
もちろん、首長や上司の指示命令に従って働くこと、市民やその代表である議会を尊重し、その声を拝聴しながら仕事を進めるべきことそのものを否定するわけではありません。
しかしそれは、相手方の立場が持つ「力」を畏怖して感情的に服従するのではなく、相手方の主張に耳を傾け、自らの知識や経験、道徳や良心に照らして納得をし、理性的に順応していくことでしかないのです。
ではその「力」に対抗する術は何でしょうか。
まずは日ごろの仕事で「力」に流されないこと。
誰と相対するときでも、相手の立場ではなく主張の中身で判断する癖をつけましょう。
納得がいかず、質問を繰り返したり議論が長引いたりしてうざったいと思われるかもしれませんが、相手方から「こいつは力に服従するのではなく、内容に従うのだな」と思われればしめたものです。
会議の場では自分が主張するだけでなく、相手方の意見、黙っている人の考えも引き出す「対話」が起こるように工夫し、組織の文化として「上意下達を理由に思考停止するのではなく、きちんと話し合って決める」ことを根付かせていくことができれば、権限を持つ者や強い意見を持つ者からの過剰な力の行使を組織として抑制するだけでなく、多様性の中でお互いの個性を出し合いよりよいものを目指していく組織風土を醸成することにつながります。
組織運営としては、特定の役職に権限が集中しないよう、複数の責任者が互いにチェックし牽制し合う業務分担がいいでしょうね。
財政や人事に関する権限を庁内で分散、移譲しておくことが健全な官房部門を形成するひとつの方策だと思います。
権限の分散は意思決定に関与する人数を増やし、議論をオープン化することにつながりますので、特定の者の恣意を排除するために有効な方策です。
もう一つ大事なのは、相手が恐れる「力」を身に着けること。
ハラスメントの行為者は権限や能力、知見などを背景とした何らかの「力」を持っていますが、同等の「力」を持つことはなかなか難しいもの。
しかし、面と向かって言い返す反撃力がないのであれば、自分に危害を加えると黙っていないバックの「力」をちらつかせればいいのです。
ハラスメントに対する相談窓口と一体となってその対応策を講じる強い第三者組織などがあればその威を借りてハラスメント行為者を黙らせることができますが、この仕組みは一朝一夕に構築できるものではありません。
そこで私がおススメしたのが自分自身の対話力、情報発信力の活用です。
私たち自治体職員一人ひとりが役所の外側にいる誰かと「対話」ができるようになるだけ。
自らの内心を開き(もちろん職務上知りえた秘密を公表するというのは違法ですが)役所の中で起こっていることやそこで感じている日々の感情について語ること。
そして役所の外側にいる誰かから、今、外側で何が起こっているか、役所がどのように見えているかをありのまま忌憚なく、自分の所管ではない情報も含めて耳を傾けること。
私たち自治体職員が「言いたいことを発言できる」という心理的安全性を測る「炭鉱のカナリア」になることができれば、その身になにかあったときには、それまでカナリアのさえずりを聴いていた市民の皆さんが黙っちゃいない、という風になる。
そう信じて、私は毎日さえずり続けています。
全国の自治体職員の皆さん、いかがでしょうか。
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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