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ほめられてうれしくないわけはない

今年の職員表彰は記念品がすごいね
これ表彰者全員がもらえるのかい
これが欲しくて仕事したわけじゃないけど
ほめてもらえるのはうれしいよね
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
このたび私が今在籍している福岡地区水道企業団で職員表彰を受けました。
昨年春から1年半かけて取り組んできた当企業団の50周年記念事業について、総務部長として陣頭指揮を執った私が個人として表彰を受けたものです。
この50周年記念事業は当企業団の職員が職位、職種、職場に関わらず全員で取り組むこととし、通常業務に加えて周年事業の業務に従事した方はもちろん、そうでない方も周年事業に従事する職員の穴を埋めて通常業務を支障なく回したということで、当企業団としてはまず職員全員を表彰しました。
また、その中で特に顕著な功績をあった職員を数人ピックアップし、それぞれの貢献に応じて個人表彰したのですが、まさかその中に自分がノミネートされるとは思わず、表彰式では思わず涙ぐんでしまいました。
陣頭指揮を執るうえではいろいろなトラブルもあり、うまくいかないこと、断念したこともたくさんありましたし、職員の皆さんに過重な負担を押し付けてしまったり、進捗の遅れを叱責されることもたびたびで、とても自分が表彰されるなんて思いもしなかったことですが、推挙いただいた光栄を素直に受け止め、表彰状をありがたく頂戴したところです。
企業団の職員のみならず、50周年記念事業に携わっていただいた皆様に改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
50周年記念事業の詳細は以下をご参照ください

さて、ここで改めて感じるのは職員表彰という制度の意義です。
表彰制度については以前、『地方公務員が本当にすごい!』と思う地方公務員アワード』の開催に関して記事を書いたことがあります。
多くの自治体で、職員表彰制度というものがありますが、だいたいは年に一度、各職場からの推薦を受けた職場や職員個人が選考の上首長や局長、部長から表彰されるという仕組みで、施策の遂行や業務の改善に顕著な功績があった職場や職員が表彰されています。
職員表彰制度の本質は「よその誰かがほめること」ではなく「職員同士がほめあうこと」
職員表彰で市長が私を表彰することは、市長自身が私をほめたたえているのではなく、ほめたたえてくれているのは市職員の仲間たち。
あるいは市民からほめたたえられていると考えることもできるでしょう。
共同体の構成員がみんなで仲間の誰かをほめたたえることで、賞賛を受けた側ではなく、賞賛を表明した者の意識として、自分がそれを成し遂げた当事者ではないが「自分たち」がそれを成し遂げたのだという共同体への誇りが高まり、帰属意識が強くなります。
職員表彰は、その受賞をモチベーションとして業務に精励し自らの承認欲求を満たすという個人的な目的のために行われるのではなく、あくまでも組織全体の意欲喚起や結束力の強化が目的であり、その目的が果たされる仕組みや表彰結果となっているかで制度の良し悪しが評価されるべきものだと私は思っています。
大事なのは、普段からほめあう気持ちを持って互いの業務内容やその進捗状況、おかれている環境を相互に理解すること。
表彰制度があってもなくても、互いに「すごいな」「がんばってるな」と思い、時にはその言葉を発し、励ましあう関係でいられる状態に職員を置くことが、職員表彰制度の究極の目的だと私は思っています。

 当時私は福岡市役所という大組織にいたのでこんなことを書いていますが、職員数100名あまりの当企業団では職員数が少なくこじんまりとしていること、また同じ水道事業を営む仲間としての距離感が近いため、互いに「ほめあう」という文化が根付き、普段からそういうコミュニケーションが行われているように感じます。
50周年記念事業を総務部総務課の職員だけでやらず全庁一丸となってやろうという声かけに皆さんが応じてくれたのもそこに理由があったように思います。
一方で、仕事への評価という話題に必ずつきまとうのが「人事」です。
これについても今までいろいろと書いてきましたが、その中で私はこんなことを書いています。
 
私たちはなぜ「評価」されたいのでしょうか。
組織の求める人材として自分を高めたいから?
異動や昇任などの配置管理を有利に進めたいから?
私はこの手の組織側の論理に基づく「能力」評価にはあまり魅力を感じません。
仕事はやはり「実績」評価。
自分に与えられた仕事を求められるレベルでやり遂げることは職業人として当然のことですし、それができていなければ叱咤激励を受け、期待以上の水準であれば大きな声で誉めてほしい。
その際に求めるのは、別にお金や表彰、あるいは異動や昇任で有利な配慮をしてもらうことではありません。
私が欲しいのはただ一つ。
私が成果を出したことを認め、ほめてほしい。それだけです。
ほめてもらうのは上司である場合が多いですが、私の場合は違います。
一緒に働いた仲間から「一緒に働けて良かった」と言われること。
目の前の市民から「あなたに担当してもらってよかった」と言われること。
仕事で触れ合う多くの人からどれだけ「ありがとう」と感謝の気持ちを示してもらえるかどうかだけがすべてだと思っています。
というわけで私は、仕事で接する市民から、職場の多くの仲間から、仕事で関係を持ちご協力いただく方々から「ありがとう」と言ってもらえることを日々の目標とし、逆にすべての方々に「ありがとう」と言うようにしています。

 当企業団の表彰、特に職員全員で取り組んだ50周年記念事業での表彰はまさにこういう感じでした。
善行のすべてを人事で処遇できるわけもなく、またそうすべきでもない。
素晴らしい行いを見たときに「すごいね」、何かをしてもらえた時には「ありがとう」と言い合うことができれば、それで組織は明るく活気づくのだということをこの組織で改めて気づかされました。
さらに、職員をほめるということに関して、私はこんなことも書いています。
 
公務員が「お役所仕事」をやめるにはまず「誉める」。
担当を越えて連携協力し、市民のお困りごとに真摯に向き合う、「お役所仕事」ではない仕事ぶりを見た時にはぜひそのことを拍手で称賛してほしいのです。
別に飛びぬけて素晴らしいチャレンジだけを称賛する必要はありません。
日常の何気ない仕事の一つひとつについて「お役所仕事」と呼ばれることのない仕事がきちんとできていたときに、感謝と称賛の気持ちを言語化する。
面と向かって言葉をかけてもらえれば一番ありがたいですが、気恥ずかしい場合は後から別の場所ででも構いません。
当の本人に伝わらなくても、誰かにそのことを言葉で伝えるだけでいいのです。
SNSでつぶやいても、家族や友達同士でそのことを共有してもいいと思います。
自分の周りで起こったことはもちろん、報道やネットで見聞きした、他の自治体で行われているチャレンジや善行についても、遠くから拍手を送り、たたえる。
役所の中にいる我々公務員も、外にいてその仕事ぶりを見ている一般市民も、それぞれが見えているものから「お役所仕事」でないものを意識して拾い、それが良いことだということを言語化することで、その状態が当たり前になることを目指そうと社会全体が意識していくことにつながる。
一人ひとりの「誉める」言葉が積み重なり、「お役所仕事」ではないものが善行として歓迎される空気を醸し出していくことが、私たち公務員の当たり前を変え、「お役所仕事」ではないことを当たり前にしていく動機付けになるのだと思っています。

 私も50周年記念事業の取り組みを情報発信するなかでたくさんの方からお褒めの言葉をいただきました。
その言葉にエネルギーをいただき、ここまで頑張ってこれました。
私が50周年記念事業をここまで頑張ってこられたのは、職員の皆さん、市民の皆さんをはじめ、私の周りにいるたくさんの方々の感謝の声、お褒めの言葉があったからです。
こうして任務を全うし、満足のいく成果を出せたこと、そして職員として表彰を受けるに至ったことを改めて感謝します。
皆さん、ありがとうございました。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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