国民のIQの低さに課税(かけ)よう
マイナンバーやインボイスで
お金の流れを透明化するって言いながら
自分たちは帳簿にも書かないって
どこまで馬鹿にすりゃ気が済むの
#ジブリで学ぶ自治体財政
2023年の「今年の漢字」は「税」だそうです。
生活に直結する増「税」・減「税」の動向が注目された一年。
国民の不安や期待が錯綜したというのが選定理由とのことですが、皆さん、いかがお感じでしょうか。
確かに「防衛増税」や「異次元の子育て施策」など、施策の拡充については財源とセットで議論すべきという論調が高まったのは事実です。
しかしながら施策拡充については賛否の議論が盛り上がるもののその拡充部分を税で賄うというような財源論に入ったとたんに「増税アレルギー」が起こり、財源の負担を誰にどのように求めるのかということについては国民がそっぽを向き、関係者だけでの内向きな議論に終始してしまっているような印象です。
国民に信を問うこともなく、野党からの対案も十分に示されない。
結局、国民は霞が関で議論され国会で決まったことに従って税を徴収されるだけなのかという気がしました。
また、税収増の還元策として所得税、住民税の定額減税や低所得者への給付が行われることになりましたが、増加した税収分はすでに他の施策事業の財源に充当されており増収分の還元という構造になっていないことや、減税と給付を組み合わせることで制度が煩雑になり、事務負担が増えたり対象となる国民の側に混乱が生じたりする懸念が叫ばれています。
物価高などの経済困窮に対する施策として「減税」という手法を用いることは適切な選択だったのでしょうか。
これらの騒動を通じて「税」について国民の関心は高まりましたが、正しい理解は進んだのでしょうか。
財政の根幹をなす税の本質について私はこう書いています。
納税は個々の担税力に応じた社会的責任を果たすことで経済弱者の税負担をカバーし社会保障の財源を確保する相互扶助義務の履行。
お互いに困ったときは自分の持っている能力の範囲で助け合う義務を負っており、その義務を履行するためにそれぞれの能力に応じて税を納めている。
このため、担税力のある者はその課税を忌避すべきではない。
ただしその前提として、国民に個人の私権を制限してまで相互扶助の義務を履行させる以上は、そこで行われる富の再分配が平等、公平で妥当なものになっていることが透明性を以て合理的に語られることが必要なことは言うまでもなく、そのような再分配を実現し、その内容を国民に対して説明する責任が政治家や官僚組織、私も含めた公務員たちに課せられているということも自覚しなければならない、とも述べています。
納税の納得感は行政組織への信頼感を高めることでしか高まりません。
納税は個々の担税力に応じた相互扶助の責任を果たすという意義がありますが,それを自らの行動で実現するのではなく,いったん国や地方自治体に預け,そこから先の実行を委ねることになっている以上,その権限,責任を託す行政組織への信頼感が必要になるのは当たり前ですし,そのためには行政組織と国民,市民の関係性においてはもちろん,公務員である私たち自身と国民,市民との関係性においても対話による情報共有とそこから導かれる相互理解が求められる。
そのような信頼関係を構築するための前提として,行政運営の効率化や省力化,効果の最大化を図ることは当然の責務ですが,そもそも税金泥棒とまで言われるような不信感や不満をなぜ市民から持たれているのか,それは税を払うという局面で初めて出てくる感情ではなく,普段から行政に対する不信や不満を募らせているのではないか,その感情の底流には役所の組織運営や施策事業の遂行のどこかに問題があるのではないか,という視点も必要になると考えます。
さて皆さん、2023年を振り返ってみてください。
施策の拡充のための財源確保のために行われた「税」の議論に合わせて、行政組織の信頼感を高めるための情報発信や対話が十分に行われたでしょうか。
納税は国民の義務という言葉をただ振りかざして,公務員の立場から正論で国民,市民を説得するのではなく,納税の意味を国民,市民自身がどう受け止め,どう理解しているか,その事務を司る役所や公務員がどう見られているか,ということについて相手の立場に立って考えてみることも,国民,市民との相互理解を図るうえでなくてはならない「対話」のプロセスです。
今回のような新たな政策立案、政策転換においては、施策の必要性についてはそれなりのテーブルをつくり、国民的な世論喚起を行って語り合う場が作られたのかもしれませんが、その財源である税については、そもそも財政運営の中でどのような機能を果たしているのか、税の根幹である公平の原則とはどういう思想に基づいているのか、を正しく理解したうえで国民がなぜ納税義務を負っているのか、それはどのように履行されるべきか、を国民自身が納得して新たな税負担を了承するという過程が必要だったのだと思います。
さらに言えばその過程のひとつとして、行政の信頼性向上という取り組みも並行して行われるべきだったと思うのですが、昨今政治の世界でその真逆のことが起こっていることを大変悲しい気持ちで傍観しています。
これまでも政治不信を招くような疑獄事件は数多くありましたが、施策拡充の財源を税という強制的な徴収方法で国民に負担を強いる以上、その施策がどれだけ国民の支持を得ていたとしても、徴税から施策財源への充当に至る過程の透明性、公平性、妥当性を国が担保する必要があり、その前提としての国への信頼を揺るがす行為などあってはならないはず。
その緊張感が政治の世界で希薄になり、課税という打ち出の小づちを簡単に振って国民の懐から資金を引き出そうとするその姿勢にこそ、国民は怒りを以て審判を下さなければならない、そんな重大事件だと私は思っています。
思わず、私の好きなサザンオールスターズの曲を思い出してしまいますね。
妖怪達の台所(キッチン) 闇の中での会議
民衆の声無き嗚呼「ガラス張り」など見果てぬジョーク
“無理矢理だけど"と大臣(センセイ)は言うと
“国民のIQ の低さに課税(かけ)よう
~サザンオールスターズ 汚れた台所(キッチン)より~
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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