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忠臣たちの暴走

あなたマークされてるわよ
SNSで人事課のこと書いてるでしょ
あの人たちは自分のこと
書かれるのすごく嫌うから
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
兵庫県で起こっている私の知る限り最悪の事件について、時間が経つにつれて徐々にその暗部が明らかになってきました。

この記事では知事の側近である副知事が辞任、今年春まで総務部長だった理事が総務部付の部長に降格、とありますが、この報道では会議等を欠席がちと報じられている現在の総務部長が病欠となっていることが新たに報じられました。
まさに末期的な状況ですが、告発者が死を以て訴えた県庁の暗部が明るみになってきたのは喜ばしいことです。
 
もともとこの事件は、知事のパワハラ行為そのものに焦点が当たりました。
私も、政治家である首長が「市民のために」と振りかざす政治的な大ナタを役所の中の事務方が受け止めることの難しさを思い、首長を選ぶ市民の皆さんにはぜひ、候補者の掲げる公約や公約を実行する力だけでなく、候補者が組織運営をどのように行い、適正な事務執行を図りつつ「市民のために」どのように最大限の能力を発揮させるのかを、組織経営の手腕として見定めていただきたいと書きました。

 ところが徐々に事案の詳細が明るみになるにつれ、単に首長のハラスメント行為が職員への人権侵害であるという問題だけでなくそういう歪な関係性の中で出された業務命令に起因して不適切な行政運営が行われたのではないかという視点で問題視すべきだという考えに至りました。
適切な業務命令だったとすればそれは知事ひとりで実行できる行為ではなく知事の命令を組織として受け止め、対応した官房部門や事務方も一定の責任を負わなければなりません。
告発者もそのことをわかっていて、政治的な力を背景にした行政運営の歪みについて知り、それをそのまま語ることが憚られたため、知事のパワハラという視点での告発となったのではないか、との疑念を抱いたのです。

 そしてさらに明らかになってきたのが、知事のパワハラという報道の陰に隠れた、知事側近たちによる横暴、密室での行政運営です。

私はこの事件発覚の当初より、今回の内部告発に対する犯人捜しや内部調査だけでの断罪を根拠とした人事的な措置などの不適切な処理方法について通常の組織運営ではあり得ない、尋常ではないという感覚を持っていましたが、ここで報じられている一握りの幹部の暴走を許した土壌は何だったのでしょうか。
知事のパワハラ気質による独裁が原因で、副知事が辞任を表明した際に涙ながらに語った「知事を止めることができなかった」というのは真相なのでしょうか。
それとも、もともと一部の幹部による密室での行政運営が常態化しており、この密室運営に対する知事の無関心と放任に加えて知事自身のパワハラ気質も加わり、数々の不適切な事案が積み重なっていったのでしょうか。
 
兵庫県では議会の設置した百条委員会でこの問題の真相究明にあたっています。
私はこの委員会においてぜひ個々の事案の事実確認だけでなく、なぜそのようなことが兵庫県庁で起こったのか、その組織的背景をぜひ明らかにしてほしいと思います。
この問題を知事や知事側近の個人責任として追及し断罪することを世の中の多くの人が求めている風潮がありますが、私は責任追及には興味がありません。
私が知りたいのはただ一点。
それは、今回の問題がこの場所、このメンバーでしか起こりえないレアケースだったのか、それともどの自治体組織にも起こりうる普遍的な課題の露見だったのかという点です。
政治家である首長がパワハラ行為を起こしかねないという点についてはすでに普遍的な問題として書きましたが、一部の幹部職員が権力を握って行政運営を歪め、市民の信頼に応えなくなってしまうということが、私たちの職場、組織で起こらないようにするには何が必要なのか、自治体職員のみならず、市民県民の皆さんもよく考えてみるいい機会だと思います。
 
もし仮にこの問題が普遍的なものだったとしたら、今回の兵庫県事案の根っこにあるのは「組織への忠誠」とそれを支える「同質性の希求」であり、私たち自治体組織は民間企業等の組織に比べてこの二つの概念を歪めてとらえがちなのではないか、という危惧を持っています。
どこの組織にも、組織で最も高い評価を得るのは仕事の実績でも能力でもなく「組織への忠誠」という文化が存在しますが、特に公務員の場合それが顕著です。
民間企業であれば社員の組織に対する貢献を評価する場合には売り上げや利益といった数値で測ることができますが、公務員組織の場合、どのような行為が組織にとって高い貢献であったのかを客観的、合理的に評価することが難しく、結果として人事評価の多くは組織の求めるミッションに対してどこまで忠実に、献身的にコミットしたのか、という過程、姿勢に左右されることになってしまうというのが、組織への忠誠を重んじる理由ではないかと感じています。
結果を出すことよりも、指示に従って献身的に働いている者をかわいがる上司、皆さんのところにはいませんか。
 
この「組織への忠誠」を重んじる文化が、「同質性の希求」という独特の価値観を育んでいるように思います。
日本のムラ社会では「出る杭は打たれる」と言いますが、なぜ他人よりも突出した才能や技術を持っている者は煙たがられるのでしょうか。
それは稲作を中心とした村落共同体で、十分な質・量の収穫を確保するために、耕作地を共同で管理する必要があり、農村では、そのような活動に適した価値観、すなわち几帳面さや対他配慮(自分を殺しても、相手や所属している組織のことを優先する)が評価される価値観が育まれたのだと言われています。
この自分を殺してでも相手や所属している組織の利益を優先する姿勢を「忠誠」と呼んで重宝してきた価値観が私たち公務員組織にはいまだに色濃く残り、個人プレイを許さない文化、一人だけ目立ち、ほめられることをよしとせず、みんな横並び、同質であることで安心しあう風土を形成しているように感じています。
そして、その同質性を判定し、「組織への」忠誠を評価し、人事異動や昇任等の処遇によって職員にその測定基準を示すことで、その根底にある価値観を普及させ、増殖させていくことができるのが今回の事案で暗部の温床とされている人事権を持つ一握りの人たちなのです。
 
地方自治体の場合、自治体の向かう方向性や取り組みが市民の求めるものであり、人事権を持つ者がそれを正しく理解し、職員がその市民の求めるものに対して忠実に、誠実に、献身的に取り組むよう人事権を行使することで、組織全体が市民県民への忠誠を担保できるのであれば問題はなく大いに結構なことですが、兵庫県庁で起こった事案では「組織への忠誠」とは、誰に対しての忠誠かという部分に疑念を抱かざるを得ません。
首長への忠誠は、首長を選んだ市民県民への忠誠とイコールなのか。
まさか組織を陰で牛耳っている一握りのエリートたちへの忠誠が市民県民の付託に応えることにはならないはず。
しかもその一握りのエリートたちが知事への忠誠心に基づいた行動をとっていたのかすら疑わしい状況が明らかになってきています。
組織への忠誠を誓う者たちが中枢に集められ、その同質性が濃く深く純粋培養されていった暁に、そこで煮詰められた価値観が組織外部と乖離したまま暴走する危険性は、どの自治体にもあるのではないでしょうか。
その実態が市民県民に知らされることは少なく、今回のような事案が発生してもなお事態は闇の中なのは、こういった事案の真相を明らかにし、組織運営を正しい方向に導いていく責任ある立場の者たち自身がゆがんだ行政運営に手を染め、内部告発に対しても真相究明の責務を果たそうとせずに自らの保身に走っているからなのですが、それは人事権という組織統率の強大な権力を正しく発揮していくことの構造的な難しさを表しているのではないか、という懸念を持ち、恐ろしく感じているところです。
 
兵庫県議会の百条委員会はこの闇を照らし真相を明らかにすることができるのでしょうか。
兵庫県はこの事件から教訓を得て、再発防止策を講じ、県民の付託に忠実に応える組織として生まれ変わることができるのでしょうか。
全国の自治体はこの問題を他山の石として、自らの自治体でこのようなことが起こりえないよう、何らかの措置を講じることができるのでしょうか。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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