劣化への怖れ
noteを始めた理由として、過去に書いた文章の整理保存があります。
以下は4年前にfacebookの記事を数日前に「過去のあの日」としてシェアした際の投稿です。
すでにお読みいただいた方には恐縮ですが、アーカイブ化のため、再掲いたします。
【以下、2020年7月6日fb投稿記事】
毎年「過去のあの日」でこの投稿が現れると、仙台のあの夜を思い出し、ドキッとさせられる。
財政課を卒業した年に感じた「劣化」への怖れ。
現場を離れることで確実に忍び寄るそれは誰をも蝕む必定のさだめだ。
毎年その変化に抗って自らを鼓舞し、それなりにステージに磨きをかけてきたが、さらに4年経ち、その上このコロナ禍でステージそのものにブランクが空くことでいよいよ「劣化」は現実のものになりつつある。
オンライン対話会や新たなSNS展開など、それなりのチャレンジは始めてみたが、所詮は発信チャンネルの多様化。
言わば過去のヒット曲をベスト版、リマスター版で再販しているに過ぎない。
そろそろ新曲を作らないとね。
【以下、2016年7月6日fb投稿記事】
出張財政出前講座ラッシュの合間に頭をよぎる「劣化」の二文字。
これは先週、山形&仙台2daysの夜、へべれけになりながら交わした熱く濃いトークのなかで話題になったもの。
話題性のある人の人気の講演会が、回を重ねるごとにいつの間にか面白くなくなっていくことを「劣化」と表現したものだが、皆さんはそう感じることがないだろうか。
最初に聞いたときには「面白い!」「ためになる!」「もっと聞きたい!」と評価し、「また来てほしい」「近くであったらまた行きたい」と思ったはずのアノ人の話が、2回、3回と聞くうちに最初の感動が薄れ、そのうち期待が失望に変わるという悲しい結果は、残念ながらよくある話。なぜそんな悲劇が起こるのか。
確かに全く同じ話題を全く同じ展開で2回、3回と聞いていればそれは飽きるのも当たり前だが、フリートークの時局講演でもそれは起こりうるから恐ろしい。
我々が「劣化」の理由として話していたのは、やはり現場からの乖離。
だいたい話の面白い人の本質は、臨場感にあると自分は思う。
その眼で見てきたこと、耳で聞いてきたこと、肌で感じてきたことを自分のこととして話す人の迫力は、伝聞や文献から得た知識に基づくものとは全く異なる。
第一線の現場で活躍している人が、その現場で起こっていることを話すから面白いのだ。
ちょっと前に「戦場カメラマン」という触れ込みでテレビにたくさん出ていた人がいたが、テレビに出る期間が少し長すぎ、「戦場にいた経験」という臨場感が失われてしまったように思う。
山形の夜に、我々の間で話題に上がった方々も、かつては第一線での活躍ぶりが評価され、どこへいっても引っ張りだこの超人気だったが、最近少しステージに勢いがないと感じるのは我々の耳が肥えたからではなく、超一流のアノ人でさえ、現場を離れ、頭の中に残っている「現場の思い出」で話題を構成してしまい、ある意味鮮度が落ちた古臭さが醸し出されているからではないか、という気がする。
翻って、自分のことを考える。
4月に財政の第一線を退いた自分が、いつまで「財政出前講座」を一定の鮮度を持ってお届けできるか。実はそんなに時間は残されていない。
今は全国の自治体で引っ張りだこの自分も、現場を離れた今となっては「劣化」の二文字からは逃れることができないのだ。
職業で「おいしい財政出前の旅」をやっているわけではないので、「劣化」の二文字が自分で許せなくなれば自らステージを降りればいいだけの話だが、これだけいろんな方々からのオファーを受け、貴重な時間を割いて自分の話を聞きたいと言ってくれている人たちのために、自分自身が常に鮮度を保つための努力を怠ってはならないなあ、と改めて感じている
もちろん、新たな話題を現場で仕入れ、高い鮮度で提供する方法もなくはない。
そのネタの仕入れ先は、実はステージの上にある。
今までも、財政出前講座は、ステージでのギャラリーの反応や質疑などを通じてアレンジにアレンジを重ね、ここまでステージを磨き上げてきた。
4年間で100回を超えるステージ、3000人を超える温かいギャラリーに育てられて今の自分がある。
これからも、いつでもどこでも、求められることを的確に伝え、みんなに喜ばれる伝道師の役割を担い続けられるよう、日々、皆さんに鍛えてもらおうと思います(^_-)-☆
★「自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?」について
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★日々の雑事はこちらに投稿していますので,ご興味のある方はどうぞ。
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