起業の経緯を話すつもりが男性コンプレックスの塊だった私が自分の中の女性性を受け入れて生きつつある話になってしまった
たった今、Clubhouseで私の昔話をしました。
なんで起業したのかという話をしようと思ったのだけど、それには、男性コンプレックスでいっぱいだった過去の自分が女性としての自分を受け入れるまでの流れが、大事な要素になっていたので、お話してみました。
ずっと自分の中で蓋してた感情だったのだけど、なんで話してみようと思ったかはこちらのnoteに書きました。▽
Clubhouseはログが残らないし、Androidの方はアプリがないから、今回聞けなかった方にも届けたくて。
文章でもお送りしたいと思います。
長いから(3,000文字超えた!)、お時間のある時におつきあいいただけたら嬉しいです(^^)
簡単な自己紹介を。
昭和61年生まれ34歳。
サプリを企画販売する会社を経営しています。
1歳7ヶ月の娘と夫の3人で暮らしています。
男の子がほしかった企業戦士な父と、女の幸せは子を生むことだ!と信じる専業主婦の母、という昔ながらな価値観をもつ両親のもとに長女として生まれました。
私は、典型的な長女気質で、無意識レベルで親の期待に応えようとしてしまうタイプ。
父が選んだのか私が選んだのか覚えてないけど、物心ついた頃買ってもらったおもちゃはピストルとか男の子用のもので。
自転車は青か黒のマウンテンバイクしか乗ったことない。
高かったろうに。でも本当は1ミリも欲しくなかったよ。
なんとなく、父も、当時同居していた父方の祖父も、私が男の子っぽい素振りをすると嬉しそうで、幼心に、男の子がほしかったんだろうなーというのを察知して、毎日ズボンを履いて、男の子っぽく振る舞ってた。
勉強もスポーツも、ライバルは男子。
いい大学に行って、いい企業に入るのが幸せ、という昭和な価値観が刷り込まれていて、それ以外の世界を知らなかったから、がむしゃらに、親が敷いたレールの上を走ってた。
新卒でIT系の会社に入社して、何も知らない新卒のぺーぺーが中小企業の社長さんたちに営業したりアドバイスしたりする立場に。
営業目標もしんどくて、毎日吐きながら会社行って、終電まで働いてた。
仕事とるために朝まで接待にお付き合いしたりしてた。
セクハラもいっぱいあった。
今の自分が聞いたら飛び蹴りしたいくらいだけど、車に轢かれでもしたら会社行かなくてもいいかななんて思ったこともあった。
ここでも私のライバルは男性で。
男に負けたくない、女だからってなめられたくないという気持ちが強かった。
がむしゃらに頑張って、結果を出して、ブラック企業ですら快適に感じるくらいまで力をつけた。
セクハラも減った。
素敵なクライアントさんとの出会いもあった。
その頃同期で切磋琢磨していただんなさんと仲良くなってつきあうことに。
それまでの私は努めて男らしく生きてたんだけど、このだんなさんが、どうあがいても勝てないくらい圧倒的な男らしさがある人だったから、無理に私が男らしく頑張らなくてもよくなって、肩に入ってた力が抜けた。
本当はへなちょこな私。たぶん、甘えられる存在を欲してたんだな。
ここらへんでやっと、ピンクのスマホを持てたり赤いカバンを買えたりした。
今までさぼってた女の部分をやり直したい、この人の子を生みたいと思って結婚することに。
だんなさん、たくましすぎて、中国で働きたい!って言って、中国転勤に。
私は、比較的自由にやらせてもらってた仕事に飽きてきてたのもあり、新しい世界に飛び込んでみたいという気持ちもあり、仕事を辞めて中国についていくことにしました。
それまで1日のほとんど仕事していたから、突然ぽっかりあいたスケジュールに、何したらいいかわからなくて部屋に一人っきりでぼーっとしてた。
誰も知り合いのいない環境で、言葉もわからなくて、話し相手もいなくて。
孤独。
SNSを開けば同期たちが大きなプロジェクト担当してたり昇進してたり。
私ここで何してるんだろうって100回以上思ったし、存在意義がわからなくなって、毎日泣いてた。
人生強制リセット。
とんだ新婚生活だった(笑)
言葉が通じなさすぎて買い物すらままならないから、必死で中国語勉強したり、
だんなさんが今度は香港に異動になって、大学院で経営学学んだり。
(入学した途端彼はまさかの北京出戻りになって、私だけ香港に残るという謎の海外別居生活もあったり。)
いつか日本に戻って就活した時に、「これをやってました」って言えるように、そこでしかできないような経験スキルを身につけようって頑張った。
男っぽい自分はまだ健在。原動力になってたかも。
まだまだ中国生活続きそうだなって思って、日本に帰って就活して、内定ももらえたのだけど、それまで100%自分の時間で自分のためだけに自由に過ごす、という経験ができてそれに慣れてしまったら、面接で話す志望理由がなんだか嘘っぽく感じて。
これってほんとにやりたいことなんかな?
他人の会社のために頑張れるかな?って思って。
やったらやっただけ自分に戻ってくるように、自分の力で働いてみたい、と思い始めた。
ブログを書いて収益化したり、前職のクライアントさんの商品を中国で販売したりしてお金を稼ぎ始める。
このままいけるかも、と思っていた矢先に妊娠。
妊娠中は、出血があったり、吐きづわりがすごくて絶対安静で動けなかった。
みんな働いてるのに、私だけひとり一日中ベッドの上で。
自分だけ時が止まってる感じ。
また、孤独な時間。
2回目の強制リセット。
夫は仕事もしてる上にご飯も作ってくれて、なんかもう何もせずに存在しててごめんなさいって思って。
なのにホルモンバランスも崩れてるから夫のちょっとした一言にも敏感に反応してわーわー泣いてた。
そんな自分のことが大嫌いだった。
(年始の逃げ恥スペシャルは、デフォルメでもなんでもなく、過去の私そのまんまだった。わがままだって叩かれてたけど。)
病院で処方された葉酸サプリとか鉄剤が大きすぎて臭くて飲めなかったことがあって、これは中国でニーズがあるかも?と思ったから、安定期に入って少し元気が出てきた頃に、オリジナルのサプリをつくりたいって前職のクライアントさんに相談して準備始めた。
サプリは自分が困ってたから欲しかったのと、EC業界出身でネット通販なら自分でできそうだったから始めただけで、なんでもよかったんだと思う。
ただ、自分のやるべきこととか存在意義とか役割がほしかった。
何かしてるなら生きてていいよっていう免罪符みたいなもの。
体調を見ながらの、めちゃくちゃゆっくりなペースでの起業だった。
妊娠30週の時、だんなさんの異動、日本への本帰国が決まって。
飛行機にぎりぎり乗れる時期に大きなお腹抱えて日本に引越し。
どんだけ振り回すんだよ!ってだんなの会社(つまりは自分の古巣なんだけど)につっこんだ(笑)
妊娠中、産後は本当に体も心もしんどくて。
体調いい日なんて産前9ヶ月+産後半年の間1日もなかったし、ご飯もまともに食べられない上に睡眠不足だからどんどん精神的にも病んだ。
「自分で生んだのに子がかわいいと思えない」とか言って大泣きしたこともあった。
あまりに寝られないからネントレして、少し心に余裕が出てきて仕事もできるようになってきた頃、今度は流産してしまって、これもとってもつらい経験で。
涙って泣こうと思って出てくるんじゃなくて、こんなに勝手に流れてくるもんなんだって知った。
いつも頭で考えてるけど、ほんとは人間は動物なんだって気づいた。
自分のお腹の中でひとつの命が消えるというのを、体のすべての細胞が悲しんでた。
不必要なくらい自分を責めた。
なんで女ばっかりこんな思いしなきゃいけないんだって思った。
よくドラマとかで幸せの象徴っぽく描かれてる妊婦さん像、お母さん像を見てたから、思ってたんと違う…となった。
女の私でも知らないことたくさんだったから、男性はもっとそうなんだと思う。
周り見渡せば、たくさんの女性が、ママたちが、きっとそれぞれ大変な思いつらい思いをしてそれを乗り越えてきてるんだろうけど、あえて口に出さないから表に出ていなくて。
それぞれいろんなものを抱えながら生きてる女性ってすごいなって思った。
今まで男性に認められたくて頑張ってたのが、気づいたらもうどうでもよくなっていて、自分の中にある女性性をもっと大切にしたいって思った。
そして、仕事を通じて、女性の心と体の健康をサポートしたいって思った。
心も体もボロボロで、苦しかった過去の自分を助けてあげたくて。
男の方がすごいとか女の方がすごいとかそういう議論をしたいわけではなくて。
自分の中に、両方あって、いろんなことを経て、だんだん自分の中で心地よいバランスがとれてきたような気がするよっていうお話でした。
期待に応えようとしてしまう長女気質の私はまだ時々両親からの言葉に胸がぎゅっとなることがあるのだけど、それでも今は母として妻として経営者としての自分を好きになりつつあるのを感じてる。
P.S. 私が思いっきり女になって体調に振り回されている時、強い男性性で守ってくれた夫には心から感謝。
長くまとまりのない話を最後まで聞いてくださったあなたも本当にありがとう。