奪わせていたのはわたし
「他の誰かや、あの出来事のせいで、こんなにも被害を被っている」と、
外側に責任を押し付け、可哀想なわたしでいようとしていることが多々あります。
そんなあれやこれやのドラマを思う存分味わい、感情を真っ直ぐに受け入れ出し切った後、被害者で居続けるわたしに対する違和感が出てくるのです。
奪われていたとずっと思っていたけれど、奪わせていたのは私だったのかもしれない・・・と。
可哀想なわたし、いわゆる被害者意識、消費者意識で居続ける方が楽です。
自分自身に矢印を向ける方がずっとずっとしんどいから。
でも、そこから肚を括り、すべて自分なんだ、エネルギーを漏らしていたのは私自身だったんだということに気づくと、一気に映る世界が変わっていき、自分に力が蘇ってきたような感覚になります。
可哀想なわたしでいたいときは思う存分そこを味わったらいい。
やり切らないと、無理やり進もうとしても何度も何度も引き戻され、同じような出来事、感情を味わいます。
でも、味わい尽くして、それに心底うんざりして、覚悟を決めたときが
やっとはじまりなんだと思うのです。