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能登の自然と人々と。
「どんな顔をして被災者に会えばいいのだろうか」
令和6年1月1日に起きた、能登半島地震。
“大変なことが起きた”
“私には何ができるだろうか”
そんな思いはあったものの、
どこか他人事で、自分と被災地は別物だと感じていたのが本音。
蛇口をひねれば水が出る。
暑けりゃエアコンをかければいい。
道路も整っていて、道を塞ぐ瓦礫は一つもない。
家に帰れば、変わらず家族がそこにいる。
何不自由なく暮らしている私は、
被災者の方々と、どう接すればいいのか、迷っていた。
SNSで見る能登半島の姿は、痛々しく、
復興の見込みが経っていないとも耳にしていた。
「絶望の中にいるのだろうか。」
「外部の人を受け入れたくないのではないだろうか。」
さまざまな妄想を作り上げていく。
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支援当日。
私は、撮影係として同行させていただいた。
能登へ足を踏み入れたとき、
見るからに崩れている場所が見当たらなかったことに、ホッとしたのを覚えている。
支援先の避難所では、
未だ家が決まっておらず、避難所生活をされている方々もおられた。
話を聞いてみたいという思いがあるものの、
第一声目をなんと発すればいいのか、
持っている言葉を並べて頭を駆け巡らせた。
「最近は、雨が多いんですか?」
当たり障りのない、そして何の気も効かない
この一言から、被災者の男性との会話がはじまった。
一瞬にして立てないほどの揺れだったこと、会社が全壊してしまったこと、余震がつづく今も、揺れに慣れることはないこと。
そして、「前を向くしかない」ということ。
笑顔で、たくさん話をしてくれた。
もしかすると、その奥には、悲しみがあるかもしれない。
だけど、私は、躊躇わず、
一語一句受け取らせていただいた。
長く話し終えた後、
男性は言った。
「聞いてくれてありがとう。」
私は、驚きで返す言葉が出てこなかった。
まさか、感謝されるなんて。
・・・
「話してくれてありがとうございます。」
あぁ、言えてよかった。
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避難所には、支援物資などが並べられており、
生活している方が自由に使えるようになっていた。
奥の部屋から出てきた男性が、
何か言いたげな雰囲気でこちらへ来て、
私たちに言った。
「お腹空いてないですか?喉は乾いていないですか?」
そして、“遠慮してはいけないよ”と
パンとジュースを差し出してくれた。
胸がギュッとなった。
こんなこと言ったら、
すごく失礼かもしれないけど、
きっと、私の方が毎日好きなものをたらふく食べているはず。
それなのに、
どうして、くれようとするの?
自分は辛いはずなのに、
どうして相手を満たそうとしてくれるの?
能登で出会う人々は、
優しさや温かさという言葉では、
まとめられない、何か大きくて強い、
きっと、本来わたしたち全員が持ち備わっているはずの、大切な何かを思い出させてくれた。
避難所の方々、営業を再開しふんばっているお店の方々、みんなが声を揃えて、
「来てくれてありがとう」と言った。
いや、そうじゃない。
「来させてくれてありがとう」だ。
崩れた山、落ちた道路、
倒れたビル、焼けた町、
シャッターを切る手を止めたくなるほど、
自然は恐ろしかった。
太陽が輝く海、風が踊る田んぼ、
濃い緑の夏の山、
カメラをおろして、深呼吸したくなるほど、
自然が美しかった。
わたしは、思った。
能登の人々は、きっと、
自然も人間も、恐ろしさと美しさの
両面があることを、知っているのかもしれないと。
そんな場所に足を運ばせてくれて、
身体で感じさせてくれて、
ありがとう。だ。
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今回の出来事を、
「能登での出来事」で終わらせてはいけない。
同じ自然界に住むわたしたちが、
今ここで考えなければいけないことがある。
自然は、わたしたちに何を伝えようとしているのか。
それは、
ある人にとっては、
自分の本音に気づくことかもしれないし、
ある人にとっては、
人の意見に耳を傾けることかもしれないし、
ある人にとっては、
世の中の情報を精査することかもしれないし、
ある人にとっては、
子どもの目を見て話をすることかもしれない。
人によって、“それ”は違う。
しかし、どれもこれも、
「本当に大切なことに気づくため」なんだ。
情報が溢れ、ものが溢れ、
それでもまだ足りないと、追いかけ続けた世界は、
外側だけが綺麗に塗られた、空っぽの箱のようになってしまった。
自然はいつでも教えてくれている。
もう十分足りていると。
本当に必要なことは、そんなに多くはないはずだということを。
自分の心や身体に耳を寄せて、
相手の心や身体に耳を寄せて。
そこにあるのは、「繋がり」。
きっと、それは人々が本当に欲しいもの。
むしろ、持ち物はそれだけでも
生きていけるのかもしれない。
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初めて能登に行かせていただき、
当初のイメージは全く別物となった。
能登の人々が教えてくれたこと。
能登の自然が教えてくれたこと。
受け取って、今、目の前のできることから一つずつ。
「支援」というのは一つの形であり、
わたしはまた、能登の人々に会いに行きたい。
能登の美味しいものを食べに行きたい。
能登の自然に触れに行きたい。
ありがとう、能登。
yumi nakagaki