7年間遠回りして「これだ」と思う仕事に出会えた話
社会人生活もいよいよ7年目の暮れ。
今の会社に転職して早くも半年が経とうとしている。
この仕事を選んだわけ。
それはまとめるとこうだ。
これから人生共に歩んでいきたい人が生きる街で
私が自分らしく仕事ができる環境があったから。
この仕事に出会うまで、思えば遠回りをした。
7年前、新卒で某大手アパレル会社につき、
プレスや企画など自分で作り出す側に行きたくて会社を選んだ。
しかしどうだろう。実際社内は10年経っても店舗接客の人が多く、
初年度で沖縄に来た私にとってはお膝元の東京本社なんてとても遠かった。
社内の方向性もあり、自分のしたいことができないと思い、営業職に転職。
念願の福岡で飲食店向け広告の営業に転身した。
未経験・知識不足・社会人としての基本の無さ。
いい意味で挫折したし、打ちのめされた。
振り返ってみてももう二度と同じことはしたくないと思う仕事内容。
ただ、間違いなくこの福岡での約3年間の経験があったからこそ、
私は今の会社に縁をもらって、念願の企画に近い仕事ができている。
3社目にしてやっと。自分がやりたきことに近い仕事ができている。
この仕事を選んだのは大きく3つ理由があった。
正直、沖縄に移住したことで月収はめちゃくちゃ下がった。
インセンティブもないから、多分年収は100万近く下がった。
同時期に会社をやめた同僚は福岡の別会社に就職して、
経験を生かして年収UPしている。
でも、このチャンスを逃したらきっと妥協して仕事を選んでしまう。
まだギリギリ20代だし、結婚も今すぐじゃないし、
どうせならやりたいことができる仕事にしようと思った。
書類審査からちゃんとフロー通りの試験を受けて、無事採用。
本当に当時繋いでくれた上司には感謝している。
年収が下がっても、こんなに仕事をしていて”おもしろい”と思ったことはない。
まだ半年も経ってないけど、難しくて厳しいけど、
それ以上に得られるものが大きいし、面白い。
こんなに仕事をしていて、価値があることをしていると感じたことは無かった。
現在、地域の行政の方と一緒に地域活性化のための着地型観光商品を作っている。
それに伴うプロモーションも、自社の枠を超えて多くのパートナー企業と提携して行っている。
事業自体には途中から入った新参者だけど、
携わる行政もパートナー企業も、地域の事業者も温かい。
そしてみんな同じ気持ちだった。
「こんな状況だけど、頑張る地域を盛り上げたい」
この気持ちに賛同して、私はこれからもっと全力を尽くしたいと思う。
近い未来、観光業で盛り上がっていた沖縄を取り戻すために。